捨てるとそのあとで必要になったりすること


 工事現場は日々変化しているから興味が尽きないのか。自転車に乗っているとき、この横を通り、工事現場沿いの杭の上にコンパクトデジカメを置き、自転車に跨ったまま、撮ってみる。何人かの通行人が追い越しざまちらと見ていく。

 小島信夫著「寓話」をだらだらとずっと、ときには一週間くらいは読まなかったりもしつつ、また読み続けている。その小説の中にNHKのテレビで第二次世界大戦中の日本のスパイがスペインにいたという、そのスパイだった老人を取材した番組のことが出てきた。寓話が書かれたのは1980年ころか。そして私は多分、年号が平成になったころにNHKの「ドキュメント昭和」だったか「NHK特集再放送スペシャル」だったかで、この番組の再放送を見て、しかもVHSのテープに録画していたことを思い出した。たしか、そのスパイは米国が原爆を開発したことを日本に暗号で知らせたのに、その情報を日本では重視していなかった、というような話があったと思う。
 ところが、そのテープを、昨年末に部屋を整理したときにほかのたくさんあったテープと一緒に、エイヤッ!と捨ててしまったのだった。十年以上も見ないまま持っていて、それで捨てたら、そのひと月後に読んでいる小説に出てきて見たくなった。が、もう見ることが出来ない。こういうことってある。捨てると大抵そうなる。それも含めて捨てるってことですね。

 今週水曜日、腹痛+頭痛で会社を休み、ベッドに横になったまま清水穣著の「白と黒で-写真と・・・」を読んでいた。その本にゲルハルト・リヒターのことを取り上げた章があった。読み始めたらリヒターの作品をある程度見ておかないと書いてあることが理解できないことがわかった。それで、腹痛がほぼ治まった昼過ぎに、ダウンジャケットを着て、マフラーも巻きつけて、とぼとぼと歩いて大きな書店まで行ってみた。そこでリヒターの作品の載っている本を立ち読みしてからまたとぼとぼと歩いて帰った。帰ってからベッドの中で清水穣の本を再び読みはじめた。途中から眠くなって眠った。サッカーのフィンランド対日本を見ながら、ミネストローネスープを飲んだ。もう腹は大丈夫だった。そんなことがありました。

白と黒で―写真と…

白と黒で―写真と…