森山大道トークイベントを聞きに行く


 先週表参道のギャラリーに森山大道「HOKKAIDO」を観にいって、興奮してしまった様子は、このブログにも書いたとおりで、読み直すと若干恥ずかしい。その会場に置いてあったビラから、今日、横浜国立大学で森山さんのトークショーがあることを知り、行ってみる。このイベントは横国のナントカ学科の授業に組み込まれている、と同時に、一般客も聴講可能というものだった。イベント開始にあたり大里教授から、学生はレポートを16日までに提出するように、とかいう指示が出る。内容の良いものは森山さんに後日読んでもらいます、とも言っていて、それなら一般聴衆も提出していいですかね?と聞きたい気分(笑)。 

森山大道トークイベント「人は何故写真を撮るのか」
◎人は何故写真を撮るのか――森山大道が学生に語る
ゲスト:森山大道
聞き手:大里俊晴横浜国立大学教授)、榑沼範久(同大学准教授)

 私の席は遠目で、良くは見えなかったが、森山さんは赤が印象的な絵柄のTシャツに黒いジャケット+ジーンズという、いつもの感じで登壇する。話の中身は森山さんの「犬の記憶」「犬の記憶終章」「昼の学校、夜の学校」「写真から写真へ」やら、あるいは清水穣や飯沢耕太郎の書いた分析、森山大道が語られてきたテレビ番組などで、言われている、写真と記憶、とか、時間と光の化石、とか、写真はコピー、等々から既知の内容をうろうろしていくが、一度、榑沼准教授が「政治」という単語を使ったときだけは、話が予定調和的内容からそれて、熱の入った回答になっているように感じた。中平卓馬に誘われてパリで学生デモに参加してみたが十分で嫌になって珈琲を飲んでいた。当時ノンポリと言われたがそれで全然かまわなかった。政治という単語は全く意識していない。結果としてそういうことを感じるかもしれないが撮っているほうからすると関心はない。といった返答だっただろうか・・・。少し気色ばんでいらっしゃるようにも思えた。
 カメラはなんでもそこにあるもので、ちゃんと写ればかまわない。という発言に対して、学生らしき一人の聴衆から質問がありより詳しく答えている。ライカを一度使ってみたけど、すぐにやめた。フイルム交換に時間がかかるし、寄れない(撮影可能至近距離が不満)。リコー(GR21)の方がいい。森山大道にとって、カメラはなるべく広い範囲(距離方向も広がり方向も)で見た瞬間に手間取らずに撮れることが重要なのだろうな。
 写真を撮るときの(カメラマンと)被写体の関係はその瞬間においてしか結べないわけで、だから全ての写真が決定的瞬間に違いない。と、何度かそう話していたのが印象的。これは聞き手の先生たちがときどきブレッソンの決定的瞬間のことを比較に出したことに対する返答でもあった。
 後半はプロジェクターでスクリーンに投射された、学生さんたちが事前に森山さんの作品から選んだ写真を見ながら話が進む。前半のトークよりもずっとリラックスしているように思える。「新宿」からか「大阪」からかわからなかったが、繁華街の夜景の写真を見ながら、僕の写真は判り易い、とおっしゃっていた。
 最後に今どこを撮りたいか?という質問があり、これは企業秘密で答えないのではないか?と思っていたら、東京だと答える。東京は(気持ちが)落ち込んでしまうほど(取り組むのには)広いが、足腰がしっかりしている間に何冊かの本にしたい、とのこと。路上スナップの盟主にとってニューヨークやパリではなく、やはり東京が世界で一番の、そして手強い取り組み相手として目の前にあるのだなあ。
 以前も森山さんのトークショーに行ったことがあったが、今日は学生相手の「授業」ということもあってか二時間半の充実した内容で満足。質問に対して、度量の広い回答をする点は以前も感じたがすごいと思う。また自分の行為なんか意識下から突き動かされることだから、それがどういう意識なのか解釈しようとはするが正しいのかどうかは判らないし感覚的なことしか言えないですよ、といった基調があると思った。

 こういうトークショーを聞くと、帰り道に写真を撮る枚数が増えてしまう。単純なことで。
 上のぶれた月はトークショーが終わって会場から出てすぐに見上げた空にあった月を撮ったもの。下の交差点は地下鉄の駅まで歩く途中の横断歩道から。


犬の記憶 終章 (河出文庫)

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