ただごろごろと


 寒くても晴れていればカメラを持って散歩にでも出るのだが、どんよりと曇り、ときに小雨が舞うような天気で外出する気持ちが出てこない。いや、天気に関係なく、何か目的や約束があれば出かけるのだがそういうものもない。いやいや「そういうものもない」などというのも後付の理屈にすぎなくて、自分でもその正しい理由なんか分析できないのだが、要するにぱっとしないのである。七時半ころにトイレに起きて、また寝てしまい、十時過ぎまで寝てしまう。また、ベッドに入ったままテレビをぼんやりと見る。アカデミー賞受賞という箔があれば、それを批判している意見は全て「間違っていた」と糾弾していいのか?私は「おくりびと」を見ていないから具体的な意見は言えない。ただ、受賞したからと言って、その映画を批判した意見を「ざまーみろあんたの批評は間違っていたと受賞が証明した」的に一元化してちゃかすのは、おおげさに言えば、文化に対する冒涜だろう。と、ある番組を見ていて、朝からむっとする。表立ってそういう主張はしていなかったが、いかにもそういう思想が根底に流れている番組作りだと感じた。でもさ、これまた、本当はそんな思想はなくて、私が誤解しただけで、ではなんで誤解したかと言えば、この番組とは全然関係ないいろんな最近の出来事の積み重ねの中で、様々なものに対する不信感が募っているからかもしれないし。でもその不信感を覚えた原因もこれまた誤解かもしれないわけで・・・そうなると何もかもが判らなくなる。いやー、ぱっとしないねえ。

 午後、雛人形を出すのを手伝う。そのあと、昨日はんぶんだけ見た「青空のルーレット」を終わりまで見て、歌手長渕剛が「先生」をする「ようこそ先輩課外授業」を見て、「世界遺産・アンコール遺跡」を見ているうちに居眠り。15分くらいだけ寝て寒くて起きる。こう書くと、テレビに対する不信感を抱きながら、テレビばかり見ている日曜日だなあ。情けない。

 インターネットのお気に入りに入っている、入れすぎで何百になっているページを適当に見ていく。4月にハンバート・ハンバートが渋谷で、5月にさかなが小さなカフェで、7月にくるりが武道館で、コンサートをするようで。それぞれチケットを申し込もうかどうか迷うが、やめにする。くるりの「三日月」のPVをぼんやりと眺める。

 写真は1990年の春休みに家族で四国旅行へ行ったときのネガから。ライオンの人形が横に動いていくのを撃つゲームだと思うけど、どこで遊んだのかは忘れてしまった。このころむすめは小学校の低学年で、四万十川を「よんまんじゅうがわ」と読み、みんなで笑ったことを思い出した。