午前、詩仙堂へ。それまでにも何度か詩仙堂に来たことがあったが、昨夏に初めて白く輝くような庭に惹かれた。ずっとただの友達だった女性にあるとき急に恋心を覚えてしまったようなもので、だから今日のような曇天でも詩仙堂の庭を前にして座っているのが嬉しい。庭を見ているうちに雨が降り始める。住職(?)が解説をしていて、そのうち開祖の石川丈山が竹の筆で書いたという福碌寿の掛け軸の内容の説明になる。寿の掛け軸には、長寿のために、暴飲暴食は禁じ、色欲は抑えよ、と書いてあるという。色欲は禁じてはいない。暴飲暴食の方は禁じている。それを聞きながら私のすぐ横にいた大きな身体つきの中年男性が、いやぁまいったまいったという風に、なんだか赤面したように、いや、本当に赤面していたわけではないだろうがそんな様子で、深くうなづいているのがおかしい。
 詩仙堂のあと叡山電鉄の線路を越え、パン屋「東風」に寄ったら、できたてほやほやのパンが並び始めたところ。くるみのパンを買って食べる。まだ熱く、ものすごく香ばしい。その後、恵文社一乗寺店へ。ところで恵文社には一乗寺店以外に××店ってあるのかな。「ボン書店の幻」「海に住む少女」を購入。結局、旅先でまた本を買ってしまった。須田塾の作文好きメンバー有志が短い創作文章を書いて、林林さんが中心に同人誌「ニセアカシア」を作ろうとしている、そういうこともあって「ボン書店の幻」という昭和初期にモダニズム詩人の詩集を出版していた小さな出版社の鳥羽茂と言う人のことを調べて書かれたという解説を読んで、読んでみたくなったというわけ。一方、「海に住む少女」の方は、フランス版宮沢賢治といわれるなんていう解説が帯に書かれている。日本のゴッホとかの言い方はよくあるが、フランス版宮沢賢治というのは宮沢賢治が格上な感じがして面白いな。日本の読者に中身のイメージを伝えるにはそう書くしかないのだな、ということは宮沢賢治風のファンタジーは日本人にとって外国文学により知られたお手本がなく宮沢賢治は唯一無二的な位置づけで認識されているのが前提なのだな。

 それから電車を乗り継いで大阪港のCASOへ。ここで一昨日持ち込んだブックが忽然と姿を消している事実を知り、非常に落ち込んでしまう。

 CASOにて一緒に出展している東京須田塾のS野さんと会い、京都から写真展に足を運んでくださるというN沢さんとも合流。N沢さん、道を間違えて雨のなかだいぶ歩いてしまわれたらしい。寒くて大変だったと思うのだが、そういう気持ちを表に出さずに、風情のあるアパートがあったとか黒猫パンというパン屋があったとか楽しそうに話す。今日の昼は、考えてみたら東風のパンしか食べていないこともあり、空腹。すすめられるまま黒猫パンのレーズンパンを1/5か1/4か手でちぎっていただく。ちぎったら、当然だけど、パンの形が壊れてしまいなんだかなぁ・・・という奇妙な形になってしまう。それで私は、6枚とか7枚とかに切っていない完成形の食パンのあの直方体に角Rがついたようなカタマリの形が好きなのだと認識する。

 京都に戻り、夕方京都に到着した林林さんと、S野さん、N沢さん、家族の某、私、の五名で先斗町の「あまのがわ」というS野さんが予約しておいてくださった店に行く。さて何を食べただろうか?お造りは覚えている。里芋と鶏肉が煮たのにとろみがかかっているのもあった。野菜の天婦羅では蕗が美味しかった。最後にジャコの茶漬けを食べた。ほかにもいろいろとあったけれど、話が楽しかったせいなのか、あまり思い出せない。あ、味噌田楽があったのをいま思い出したぞ。サラダもあった。豆腐のサラダともう一種類。これでたいぶ思い出したかな。
 私は宮沢賢治の「ポラーノ広場」(本によっては「ポランの広場」)が好きで、その理由は旅先に毒蛾が出ていてだから街の電灯がいっせいに消されていてそういう緊急事態の中で床屋に行くような場面がある。自分が子供のころに台風の夜、停電になって両親が必死に台風に備えて風上になるであろう廊下に重い家具などを移して家が飛ばされないようにしているのだが、子供の自分の方はそういう緊急事態にちょっとわくわくしていた、そのときの気分を思い出すからに違いない、などと発言する。宮沢賢治の話題になったのは、ある理由があってなのだが、私としては今日、恵文社でフランス版宮沢賢治という解説に惹かれて本を買ったばかりだったので同じキーワードが続けて出てきたのに驚いている。昨晩のボブ・ディランの看板と三日前にカフェでディランが流れていた、そういう重なりのような偶然。まだ始まったばかりなのに偶然にも次々と当ったトランプの神経衰弱ゲームのようだ。
 飲みの席でのその他のキーワード「共感覚」。私はこの言葉は全く知らなかった。

 9時半ころだったろうか、店を出る。四条大橋から河原を見下ろすと、店に入るまえには河原に並んだテントが煌々と光っていたのがもう消えている。雨があがっていて高瀬川沿いは大勢の酔客や花見客でごったがえしている。
 そのあと林林さんと私でN沢さんをご自宅まで送って行く。ここは前は養豚場だったんですよ、というところに大きなマンションが建っている。新しい家がまだ建っていない、たぶん古い家が壊されたままの空き地一面を芽吹いた雑草が覆っている土地があり、そこが新緑で発光しているように思えた。

 今日はあまり写真を撮らなかった。上のありきたりの写真は、高瀬川