京都旅行 五日目


 昨日より始まっている下鴨神社古本まつりに行く。これで三年連続になる。
 初めて行った一昨年、何故だかそのときは安岡章太郎の本を買いたくて、南はじの店から相当熱心に見逃すまいと全ての棚をチェックしていき、しかし見つけた安岡章太郎の本が、その後に「もっと程度もよく値段も安い」のが現れるかもしれず「どの店のどのあたりに何々があった」ということを神経衰弱のように覚えつつも、買わずに進み、結局は冬支度のために隠した団栗の場所を忘れてしまう栗鼠のように、いや、私はとても栗鼠のように可愛くないから・・・なんでしょうね?なんだかありふれたしょぼい動物なんだけど・・・まあ許してください、そういう忘れっぽい栗鼠のように、舞い戻ってもあるはずの本を見つけられず、すっかり疲れてしまい熱中症気味にもなって、それでも確か二冊くらいは安岡章太郎の本を買ったのだが、その後その本をちゃんと読了してはいないと思う。
 昨年はどうだったろうか?古本まつりのことより、そのあと延々と歩いて、昨年の夏に同時代ギャラリーで写真のグループ展をやったその会場まで歩いて行ったそのときの暑さの記憶が強い。
 三年目の今年は、たまたま昨日大阪のギャラリーで島尾伸三の写真を見たばかりなのでまだ読んでいない「季節風」なんかが偶然あれば買おうかしら、あるいはこの春から読んでいる大岡信の文学的断章シリーズの未読の二冊があれば、と思いながらも、何もなければそれで良し、と例年の気負いもなく、だから店も適当に飛ばしつつ見ていく。購入したのは高橋恭司写真集「LIFE GOES ON」1000円、森有正著「バビロンの流れのほとりにて」500円。
 高橋恭司の写真集は以前ブックオフで一冊買ったことがあったのだが、どうしたわけか紛失してしまった。あらためて写真集を買って、そこに写っているなんてことはない都市のなかの植物とプライベートな(?)スナップを見ていると、真夏にこんな風に旅行に出るのもそれはそれでいいけど、もっと別の心に波風がほとんど立たない凪ぎのような時間の過ごし方があって、そういう時間の過ごし方をした方が幸せではないか?いや、幸せという単語というより、安心というのか、危険のない自分の巣(家)にこもっていられることを自分はいま求めたいのではないか、と思うのだった。でも勿論そんな風に思うのは、このときまでにいたる状況の全てがあった上なので結局はわがままな感情に違いない。また、写真集に写っている写真家本人と若い女性(二人の関係は不明だが)が、それではそういう安心の表情をしているかというととんでもなくて、そこにも二人の間の時間の中で蓄積された憎や醜の堆積も必ずあり、あるいは諦めや怠惰もあり、その上でもどうしようもなくあるであろう「相手を許しあう」という愛情(のもしかしたら「かけら」)が垣間見える。ここに書いたようなことは、いちいち文章にしたのはこの日記を書くからで、そうでなければこんな風な「分析」めいたことは考えないのだが、でもとにかくこの写真集には、見る人に固有の時間を過ごした結果から見る人個個に違う何らかの感情の波風を起しうるものだった。そういうことであれば、それは報道写真が訴える力や、風景写真が訴える力、とは全然違う力を持っていて、そういう写真の力を支持したいと思う。
 しかし紛失してしまった写真集の方にはこれほど惹かれなかった気がする。惹かれなかったからもしかしたらブックオフに売ってしまったのかもしれない。
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 古本まつりまでは一乗寺から歩いて行った。途中、ノーファインダースナップなども試みながら。バス停留所とか信号とかホームとかで「待つ」人ってなんとなく撮りたくなる。


 古本まつり会場から出町柳駅前を通り、百万遍の近くの和菓子屋で明後日あたり顔を出そうと思っている実家への土産を買い、その和菓子のはいった紙袋をぶら下げて、白川通りのカフェ猫町へ。Tと合流して昼食にランチを食べる。ずっとボサノバのCDがかかっている。ジャケットを見たらナラ・レオンのようだった。
 そののち、一旦Tの部屋に帰りシャワーを浴びる。下鴨神社から猫町カフェが遠くて疲れている。
 15時半、NさんとTと私の3人で、イルカ喫茶バー。5時半ころまでビールを飲みながらよもやま話をして過ごす。この店は村上春樹のイルカホテルからその名前を取っているらしく、飲み物の解説にも「村上春樹の××に出てくる」とか解説が書いてあるし、店内にも春樹本がたくさん置いてあった。
 夕方、春に行った銀月アパートメントまでぶらぶらと歩く。すぐ上の写真はその庭です。故意に周辺を焼きこんだりしてちょっと作りこんでいます。
 住宅地の中を歩いて帰る。薄暮の時間。路地に誰かの家の百日紅や芙蓉が咲いている。その下を犬を連れた散歩の人が歩いて行く。
 さっきまでNさんやTとしゃべっていた余韻が「楽しさの記憶50%+今は一人でありかつ薄暮による寂しさ50%」となっている。ユーミンダンデライオンという曲の冒頭のところ
♪夕焼けに小さくなる くせのある歩き方 ずっと手をふり続けていたいひと♪
が頭の中で繰返される。そのときに目の前になんてことはないありきたりのアパートが見える。なんでだろう?そのありきりのアパートのある光景がとんでもなく素敵に見える。だから写真を撮る。一番上の写真。

 夜、一乗寺蕎麦屋「そば鶴」で、再びビール。だし巻き卵、牛スジ煮込み。最後にざる蕎麦。明日は茅ヶ崎に帰る。