スポーツに思うこと


 水曜日だったか木曜日だったか、そのころからずっと暖かい日が続いている。今日の土曜日も暖かい。でも天気はよくない。
 なんだかこの日記を土日に更新するたびに歯医者の報告を書いているなあ。はい、今日も行ってきました。先週通知された治療内容ががらっと変わる。まあ歯医者さんも常に最良をもとめていろんな方策を考えているのだろうから、結果として内容が変わっても、それはまあ仕方がないのだろうね。まず本日に完全に固定するはずだった金属製の詰め物は、仮固定のまましばらく様子を見ることに変更される。これは私が、何も噛んでいないときには違和感はないものの何かを噛むと鈍痛がする、と、申し述べたためだろう。仮止めとは言えセメントは結構しっかり付いているので次回の定期チェックまでこのままで行く、とのこと。次いで、前回に「当り」の調整が必要と通知された前歯は、今日は何も言われなかった。それで最後に歯石を除去して、やっとここ数ヶ月間かかった治療が一旦終了となった。

 毎週土曜日に歯医者に行くのがここ三ケ月くらい続いて、自宅と歯医者のあいだにはTSUTAYAがある。そのTSUTAYAからはだいたい金曜日になると「土曜日限定準新作・旧作DVD半額」というクーポンのお知らせが携帯電話に届く。まるで私のためのサービスのようでしょ。ということでこれにすっかりはまってしまって、今年はものすごく沢山のレンタルDVDを見ている。今日は先週借りた「パーク・アンド・ラブホテル」と「扉をたたくひと」と「桜の園」を返して、新たに「鴨川ホルモー」と「ねこのひげ」と「ジャーマン+雨」を借りてきた。その場で解説を読みながら勘を働かせて自分の好きそうな映画を捜すのです。ただし「鴨川ホルモー」だけは去年見たことがあって、その馬鹿らしいエンタテイメントをもう一度楽しもうと思ったのですが。見た中では例えば「ストロベリー・ショート・ケイクス」や上記の「パーク・アンド・ラブホテル」とかが好きでした。

 今日は須田塾の日だったが、上記の歯医者をはじめ、なんやらかやらと予定があって、それらの予定をなんとかやりくりすれば行くことも出来たかもしれなかったのだが、そこまでの元気も出ずに今日は欠席してしまう。プリントは300枚ほど作ってあったので残念ではありましたが。

 オリンピックを見ていて、選手たちが国を代表しているというその状況を取り除いたらどうなるのだろうか?などと考えてしまう。国とか県とか市とか学校とかクラスとか会社とかそういう組織の括りの中で他の誰よりもあることに卓越していたために代表に選出される。すると組織からの応援が得られる代わりに期待を背負い、代表している組織が大きくなればなるほど応援者と本人の距離が遠くなる。すると、組織構成員と代表に正しいコミュニケーションが出来ずに期待や応援はときに間違った暴走を始める。しかし、そういう代表を送り出す組織があるということが人間の社会の基礎になっていて、そうであるから近代社会が出来たのかもしれない。等々考え出すとスポーツというのも不思議なもので、いまの競技の上位争いのシステムと、それに何かを託してしまう応援の気持ちは、あまりに旧態としているのではないか?とも思うのだった。選手は国ではなく自分のためだけにやる、というのも間違っているように思うが、選手は国を背負っている責任がある、というのは流石に旧態過ぎるだろう。
 とかなんとか書いておきながらいざ観戦すれば、それはもう一生懸命応援したり心配したりしてしまう訳で。
 キム・ヨナさんは上記の輩出組織的には韓国なので旧態的応援からすれば日本にとっては競合相手になるのだが、まあ突出して美しくて、滑らかでふくよかで、そんな組織を超越して感動を与える演技だった。あそこまで差が歴然としていると争いもなくなるね。でもなあ、結局そこまでの高見に達することが出来たのは、相当な組織間競争システムの成果なのだろう。(とか書くと、またぞろ「歴然としている」なんてのは個人的感覚でそこからして間違っているとか、三回転を三回やることの困難さを理解していないでそんなことを書くべきではない、とかいろいろと怒られそうだ)
 だからそういう組織を超越した応援が出来るようにスポーツ鑑賞のあり方も問われるべきのように思ったのだ。しかしスポーツは代理戦争、ということも言われるから、人間が社会運営する上でそういう代理戦争というスポーツの位置づけが不可欠に必要であるのならそれはもう仕方のないことですね。
 スポーツ観戦にも、芸術鑑賞能力に段階があるように、「スポーツ技術の面での鑑賞能力」とは別の「スポーツが社会のなかでどういう位置づけにおかれるべきかに寄った鑑賞能力」に関する観戦術の段階があるべきで、それは組織を取り除く方向(グローバル応援)に向くのだろうと思ったりもするが、その理念が上位になるほど結果は付いてこなくなるのだろうななんてことも感じたりして。だって結局は争いなんだものね。
 いろいろ書きましたが、やはり「個人の持っている能力を晴れ舞台で悔いなく発揮できることを願う」応援というのがとりあえず正しいのでしょう。。。
うーん、逃げを打つようで申し訳ないのですが、スポーツに関してはまだまだ自分でも何なのか考えがまとまらず、ここに書いたことも全然自信はないのです。何かそういうこと(スポーツとは何か)を研究している分野があるのだろうな。

 写真は、最近流行りの逆アオリとかではなくて、走っている電車から流し撮りをして、被写体の前後を「流し撮りブレ」させたようなものです。それをベースにあれこれいじってみた。

火星年代記 (ハヤカワ文庫 NV 114)

火星年代記 (ハヤカワ文庫 NV 114)

なんだか急に再読したくなった。火星年代記