共通認識をくつがえす


 午前、掛かりつけの医院に持病の薬をもらいに行く。同時にここのところずっと治らない喉痛の薬も出してもらう。

 昼、横浜。家族のSと昼食を勝烈庵で食べる。くしかつ定食。

 午後、神田。須田塾の第四週組に顔を出す。塾後の飲み会に中締めまで参加する。

 上の写真は、どこかの高架にある駅から見下ろした駅前広場を歩いている人々を撮った写真をあれこれいじり倒したもの。最近はこんなことをあまりやらなくなったが、最初の個展「流星」のころ(2006)にはよくこんな風にデジタル加工で写真を作りこんでいたな。

 先週、部屋を整理していたら、昨秋に名古屋のギャラリー(えびすビルの中のギャラリー)で亞林さんと一緒に偶然見た田口健太という方の展覧会のDMが出てきた。イメージを紙に描いてからそれを印画紙に焼き付けるという手法の大型作品だった。すごく良くて自分でその写真を持っていたかった。写真のようでもあり、そうでもなくて、不思議な感じがした。描いた絵のままではなくて、それを最終的につるりとしたゼラチンシルバープリントに仕上げて所望の質感やボケ感を得ているわけだが、従来の感覚だと「「原画」が一番」といったような価値感が通常であると認識しているので、それを印画紙に焼き付けるという工程を経ることへの驚きがあった。美術家にとって、写真というのは数ある表現の手立ての一つとして選択肢の中にあって、どうでもその手立てを組み合わせる自由さがあるだろう。写真風に見せることにより鑑賞者に向けたある特別な訴えを確立できるという点も、写真が歴史の中に登場して以来の年月を経て普遍的な「写真とはこういうもの」(例えば写真の記録性とかその記録の一例として家族アルバムがあるとか)、あるいは、写真の価値、みたいなことが共通認識できるようになっていて、その共通認識があるからこそ、そこを逆手に取ったり覆したり、揺すぶったり、前提としたり、利用したりすることが出来るのだろう。
 上のハナシとは直接的には関係ないかもしれないけど、最近は、郄木こずえとか志賀理江子とかの写真がちょっと気になったりもしています。

 今日の須田塾で、初参加のメンバーの中に自分の作った鉄作品(例えば螺旋階段とかベランダの手すりとかも)が街の中に置かれている様子を撮っている方がいらっしゃった。最初は自分の写真を記録として撮りたいということなのかと思ったが、それが街や家の中に設置され時間の中で使い込まれていったり、あるいは設置された場所にあるそれ以外のもの、例えば街路樹とか、人通りとか、陽射しとか、そういうものが、そこに唯一無二の瞬間瞬間の光景を作っていることを考えると、作品の記録(SLの形式写真みたいな記録)ということではなくて、それは自分の子供が運動会で走るところを撮るといったような気分に近いのだろうと思いなおした。広くは作品の記録ではあっても、作品が親元を離れてそこで『成長』している記録なのだろう、と考えると、その行為が理解できたように思えたのだった。

臨床とことば (朝日文庫)

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書かれる手 (平凡社ライブラリー)

書かれる手 (平凡社ライブラリー)

ユルスナールの靴 (河出文庫)

ユルスナールの靴 (河出文庫)

上記の堀江敏幸の本を読んでいたら、いままであまり読んでいない須賀敦子の評論が載っていて、だから上の須賀敦子の本を買いました。でもいつ読めることやら・・・いまはカフェ・ハッチのAさんに借りている「写真ノート」を読んでいます。
写真ノート

写真ノート