サッカー所感


 すいません、このブログでは基本的に写真のことを書いているのですが・・・。今だけはサッカー主流でして、サッカーに興味のない人にはつまらないですね。

 もう4日も前のことになってしまったが、サッカーのワールドカップ2010南アフリカ大会で日本はパラグアイと試合を行い、延長も含めて120分で0-0の引き分けだった。PK戦で敗れたためにベスト8進出はならなかった。
 残念な結果だったが、チームの健闘は讃えられていて、ニュースは賞賛や感動を伝えている。もちろん私も感動したし、悔しかった。

 でもって、またもや、あれやこれや考えてしまうのだが、がっぷり四つの試合をしたとは言え、ベスト8に進出出来なかったという結果に対して、よくやった!感動した!という気持ちが生じるということはどういうことなのか?それは、国民が共通認識として持っている日本代表チームの強さは「このくらいだろう」という期待レベルを大きく越えたということとか、試合内容が同様に想定していたよりずっと互角に戦えたということとか、あるいは結果や内容より選手や監督の態度表情などから伝わるこのチームの持っている強固な意志みたいなことが伝わってきたということとか、いろいろあるのだろう。

 1998年のフランス大会で日本は初めてワールドカップ本大会に出場したのだが、このときのアジア最終予選はすごい盛り上がりだった。友人のH君が、この最終予選のホーム通し券というのを、確か四人分かな、徹夜でプレイガイドに並んで購入してくださり、H君とW君と、あと誰だったのかな?O君か誰かと、私の四人で、ウズベキスタンカザフスタン、韓国、UAE、だったと思う四戦を国立競技場で観戦できた。ホームでの第一戦のウズベキスタン戦ではキングカズが大活躍し、中田もミドルシュートを決めて、大差で勝ったのだが、最初の一点目が入ったときにゴール裏の席から一斉に紙吹雪が巻かれそれがきらきらと輝きながら広がっていったところを反対のゴール裏から見ていて、美しくて鳥肌が立った。

 あのときは、アジア予選を突破することが日本の悲願だった。しかもホームの日本戦で逆転をくらい、アウェイのカザフスタンウズベキスタンが引き分けか何かで勝ち点を伸ばせず、加茂が監督を降りて岡田に代わり、ほとんどみんながダメだと覚悟した。ところがアウェイの韓国戦で名波が得点を挙げて起死回生の本戦出場がめぐってきた。
 多分、あの時点では、予選を突破して本選出場を決めた日本代表に今と同様に賞賛や感動が生れていた。

 こういう風に考えると、十数年かけて日本は少しづつ強くなっているってことなんだな、と思う。これがブラジルやらアルゼンチンやらだったら、地区予選突破当たり前、本大会の一次リーグ突破も当然、ベスト8に行かなくては失望、そこから上だけが許容される範囲、みたいな感覚なのだろうか?

 パラグアイ戦、負けたくない、という意識がどこかに当然あるんだろうな、その結果から慎重さが滲み出ていた。結果、ゴールキックやクリアボールなどのルーズボールを日本がキープする確率が低くて守戦に回った時間が長かった。同じような堅守チームの戦いと言われていたが、パラグアイ選手の方が身長が高いというアドバンテージがあり、その差を押し戻すような積極的な仕掛けが乏しかった。ディフェンス陣は、そういう結果として守備回数が一次リーグより多くなったと思うが、ぎりぎりのところのせめぎ合いでの闘志みたいなことが足先の数センチの差をもたらしてしのいでいた。
 もちろん数少なかったが攻撃でも惜しい場面はあった。松井のシュートがバーをたたいたからあれが入っていればなあ・・・と思うわけだが、あれはもし入っていたら偶然への感謝も含めて称賛もののいちかばちかのシュートで、時間帯からしてもチームの戦う意思表明のためのミドルだったろう。
 試合の局面局面を論じて、たられば、を言ってみても仕方がなくて、結局は、決定的チャンスの数が多い方が勝つ確率も高い、という基本があった上で、それを補強するために決定力とかが言われる。
 それでも試合の局面局面を思い起こすと、私としては延長後半最後のチャンスに、相手ゴールキーパーの直前まで迫りながらシュートではなくパスを選択した場面が残念だった。残り時間や、トーナメントであることや、選手の疲労度や、そもそもパスをしてそこに相手DFが二人もいるのに最良の選択じゃないことや、含めて、最終判断の質が強豪国に届いていなかった。
 なんて次元で論じてはダメで、その奥で更に捉えるべき差は、トップスピードでやれることの技術力ってことなのだろう。ドイツがイングランド戦で見せたあの猛スピードの中でも針に糸を通すような正確さを維持できることが最新の強さの源であって、もうファンタジスタやらの時代じゃなくなってきているんだなあ、と思う。見ている方としてはファンタジスタの時代の試合の方が驚きが多くて見やすかったかもしれない(アメリカ大会のバッジョの活躍みたいに)。
 Cロナウドのピッチ走法、ボールが足からほとんど離れないままの高速ドリブル、なんてのは、水泳選手が、流体力学とかを駆使し科学的に分析した結果を踏まえて筋トレとかフォーム改造をするように、ロナウドの走り方を最新のドリブル技術として科学分析し、その結果に基づくトレーニングで身につけて行くべきことと思うのだが、サッカーの練習ってそういうことやっているのかな?ま、当然やっているかな・・・。陸上競技でも個の体質を分類して長距離向きとか中距離向きとかを検査しているそうですね。

 長友選手が「このチームが好きだった」と言い、以降もいろんな選手がチームの結束力みたいなことを言っていた。代表チームというところに所属していて「好き」とか「嫌い」とかいう感想が出てくることに最初はびっくりしたのだが、ひとりひとりの人間が集まって作られているチームであるのだから、代表だろうが中学のサッカー部だろうが、「どういうチームか」という点でチームの中のひとりひとりがいろんなことを思っているのは勿論当然のことだった。でも私なんか、代表に選ばれていて「好き」という表現はないだろう、などと感じてしまったわけで、好きに決まっていると思っていたわけで、反省というかなんというか目を見開かされた。
 スポーツって、人間の行なう様々な行動を、縮図というか単純化して示してくれるところがあるのかもしれない。それ故にそこに感情移入が生まれ熱狂が生れるのかもしれないと思った。

 ベスト8に行けていたら、累積警告で出場できない選手もいたし、スペインとの力の差から言えば一泡吹かせるための奇襲も必要だったろうから、それまでに出場していなかった選手の何人かは出番だったんだろうな。そういう面からも悔しい結果でありました。

 ところで、だからと言って、県民栄誉賞だかを連発するのは、どうかと思う。

 うっとおしい日が続いています。上の写真は今朝の茅ヶ崎海岸。フイルム。