切ない夏


 今朝は、犬の声ではなく、鳥のさえずりで目が覚める。なんて書くと、随分と優雅だが、烏ではなかったものの、なにやら集団でピーピーと五月蝿いのだった。6時過ぎ。カーテンのせいで外の天気はわからず、今日も好天が続くのだと昨日の新聞やニュースで知っていたものの、なんだか外は曇天もしくは雨天のような気がしたのは、梅雨らしい梅雨が身についていたからなのか。そんなわけで、カーテンを開けると快晴で、知識とは別のところで、あっ!晴れだ!と驚いている。起きてから水を飲み、部屋の整理を始める。売ってしまう本、捨ててしまうレーザーディスク、を選ぶ作業を継続。石ころ・・・子供が小さいころに海で拾った石ころはどうしようか?いろんな、人間の些細な難癖によって特別と見分けられた、形や色の石ころ。一応まだ捨てないことにして。

 先日、Yさんに、
『70年代後半にFMラジオ放送「きまぐれ飛行船」を録音したテープが一本だけ「残存」していて、そのテープにはパーソナリティの作家・片岡義男と、ジャズシンガー・安田南のやりとりも録音されていて、その日の特集はその安田南自身の曲をかけるというもので、映画「赤い鳥逃げた?」に使われた原田芳雄が作った「愛情砂漠」という曲がかかるのだが、その曲について片岡が「夏になると切なくなってこういう曲が聴きたくなる」と言っている』
と伝えたのだった。その1976年6月5日に放送された「安田南がハートから唄う」という特集名の「きまぐれ飛行船」のテープも、整理していたらホコリまみれで見付かった。
 そこで、このテープからCD−Rにダビングすべく数年振りでカセットデッキの電源を入れた。最初、再生モードにしても、その二倍か三倍くらいの速度でテープが送られてしまい、何の音も再生しなかった。が、電源を何度か入れたり切ったり、再生ボタンも入れては停止、入れては停止、をくりかえす。と、昔の機械って、使用者の思いに答えてくれますね、治りました!

 そこで、久々にそのテープを聴きながらダビング作業をしたのだが、驚いたことに、私の記憶は全く間違っていて、片岡義男は「切ない夏にこの曲が聴きたくなる」なんて一言も言ってないのだった。リスナーのリクエスト葉書に「夏になるとこの曲が聴きたくなる」と書かれていること、それと、安田南が自らの甲高い声を「切ない」と言うこと、その二つは事実で、それが私の中で勝手に勘違いに発展したものと思われる。
 しかし、いつ聴いてもいいですね、この曲は。

 このひと月くらいはずっと古いレンジファインダーカメラにスクリューマウントの広角レンズを付けて写真を撮っていて、さらにスキャナーの性能のいい加減も加わって、例えば昨日の日記の写真みたいに、なんだかぼんやりと画面中央の黒がどうしてもしまらない、順光でも画面真ん中にフレアが居座っているような写真ばかりになっていた。このひと月のそういう撮影行為って、もちろん光を目で読んで勘に頼って絞りとシャッター速度を決めていた。それで、昨日の須田塾で自分の写真を自分で解説というか説明するさいに、音楽家で言えばアンプラグドみたいな感じ、とほぞいていたのだが、あらためて考えても、まぁそうかもしれないね、気分は・・・

 私自身はまるで判らないことなのだが、昨日の須田塾でK野さんは私の写真に、それも自宅のすぐ目の前の畑で撮ったお婆さんが畑仕事をしている写真に、
「日本じゃないみたいでおしゃれです」
との感想をおっしゃっていただいたが、自分の写真のそう感じさせる部分って、実は最も表層にある最も不要な、小説で言えば、最後の最後にそこまで「最後らしい」キザッちい落とし方をしないでよ!と、感じる文章があるけど、そんな不要なことなのではないか。

 上の写真は、そんなことの反発か、こんどは目一杯デジタル作業の結果です。


(こっちはアンプラグド気分の・・・撮影は先週)