浜降祭


 昨晩、眠る前には、今朝は4時か4時半には起きて茅ヶ崎海岸まで浜降祭の写真を撮りに行こうと思っていたのだが、起きたら5時45分だった。夜中の2時過ぎに、家のすぐ前のバス道りを、矢畑本社宮の神輿が盛大な鳴り物と掛け声を上げながらゆっくりと通過して、例年通り寝ていられない。やはり起きてきた妻とベランダの窓ガラス越しにしばらく眺めていた。
茅ヶ崎に住むようになってから20年ほどだが、浜降祭に行ったことは今までに三度くらいのものである。初めて見物に行った、たぶん1995年くらいの浜降祭では、全身に刺青を施し、坊主頭にねじり鉢巻を締めた小太りの、口ひげを蓄えた男が、神輿の上に乗ってか担ぎ手を鼓舞するように指揮をしているのを見たどこかの女性が、感極まった感じで、かっこいいじゃないあのおとこ・・・、と言うのが聞こえてきて、驚いた。いや、何も驚くことはないのだが、自分の周りにそういう風体の男性も、そう言う風体の男性をかっこいいと感じる女性もいなかったので、なんだか知らない世界に触れたような気持ちになったのだろう。でも、いま改めてそういう方々を見ると、なるほど、そのかっこいい感じ、が少しはわかる気がする。自分は属すことができないけど。
 夜中の2時過ぎに起きて、また寝て、予定通りには起きられず、5時45分だった。たしか、6時半ころにはほとんどの神輿が整列を終えてしまう。巷で言われているこの祭のクライマックスというのは、整列の前、各神社から繰り出した神輿が海岸まで辿り着き、整列前に海にそのまま入っていく、その勇壮さとか、朝焼けの海とか、その朝日に染まる富士山とかが作り出す風景というかそういう場面ということになっているから、クライマックスに間に合いそうもない。
 ウィキペディアによると浜降祭は「浜降祭は、茅ヶ崎市・寒川町にある各神社の氏子たちが、その神社の神輿を担ぎながら一斉に海に入り、海から出た後は再び神社まで、神輿を担ぎながら戻っていくお祭りである」とある。なんちゅうかシンプルな解説だなあ。
 で、水を二杯ほど飲んだだけで、即刻家を出た。自転車を漕ぎ出したら、すぐに、タイヤの空気が抜けていることに気が付いたので、あわてて入れていく。 
 海に着いたら、まだ三基くらいの神輿が整列位置におさまっておらず、盛んに気勢をあげながら会場を右へ左へと練り歩いている。多くのカメラマンは望遠ズームなんかを付けて、中には持参した脚立に上って、撮っている。私は単焦点標準レンズを付けたDSLRで、望遠ズームも脚立もないのだった。もちろん、それも全て、それで構わないと思うからである。

 熱気の薄い、のんびりとした祭り写真って撮れるものだろうか?言い換えると、神輿の担ぎ手の表情を追うとか、その足元を追うとか、等々の典型的「祭り写真」を上手に撮ることに腐心せずに、祭りという「晴れの日」、言い換えると「クライマックスの日」に当るのに、そこを撮りつつ、それでもピークを外したようなのほほんとした写真。なんてことを考えている。望遠ズームも脚立も持っていない言い訳なのか、めんどくさいからなのか。正攻法の真っ向勝負に参戦したくないし、勝てる気もしないのである。

 夜中に家の前を通過していく神輿を見ていてもそうだが、まず神輿の担ぎ手たちは晴れ舞台であり必死である。そのすぐ取り巻きも彼らを鼓舞するためにまずまず必死である。そこを中心として、外側へ外側へと外れていくと、装束こそは担ぎ手と一緒でも結構のんびりとしている連中がいる。よく判らないが、順番が決まっていて、そのときが来れば彼らが熱気の中心に周るのかもしれないが。のんびり連中は、まあ世間話とか噂話とかをしているのであろう。ときには経路にあるコンビニで何か食べるものを調達して、駐車場に座って食べたりもする。太陽系みたいだな。神輿は太陽で熱気に溢れている。その周りを多くの人が取り巻いているが、水金地火木土天海冥(いまは冥王星は除外されたのだっけ?)と外側に行くに従って、熱気が薄れて、日常風になっている。

 ところで、深夜の2時ころの宮出しに始まり、大抵は午前の内には各神社に神輿が戻ってくるようなスケジュールの、ほぼ「半日」に集約された(いや、実際には宮出し前にもなんかいろいろあるのだろうけれど、一般の人の目に判るのはそういうことで)祭りを見ていると、結局はどんなイベントもそうだけど、それはひと夏にも通じるような、もっと大きくばかげたことで言えば人生にも通じるような、起伏があるようだった。夜を徹して海岸まで担がれてきた神輿は、荒れ男たちの手により時には海に入り、そこがまあ、夏で言えばまさに梅雨明けの若々しい時期だろう。その後、神事に移り、形式上のピークというのかここまで担いで来た成果に対する褒美のようなものに移る。これはなんか「体制側に取り込まれる」ような感じである。偉い神主さんや、今年で言えば河野太郎とか阿部知子とかの議員さんたちが出てきて、荒くれ男たちは神妙である。それが終わると、神輿は再び担がれて、そこでも海に入るものが出てくるのだが、同じ「神輿が担がれて進む。時には海に入る」という状況ではあっても、それは神事の前ほどの熱気がないようなのだ。無謀や競争が少ないように見えるのだ。周りを取り囲む人の層も薄いし、観客ももう必死には見ていない。孫の学芸会を見るような気分がいつのまにか入り込んでいる。そして、神輿は戻って行き、会場には、さっきまで神輿が整列していたあとに竹やテントが残るだけである。そこにはただ風が吹いているだけ、みたいな風である。
 即ち、神輿から遠巻きになるほど、また祭りのスケジュールが神事を終えたあとには、そこは普通の休日ののほほんとした感が徐々に復活しているのだった。

 ただ、浜降の素敵なところは、やはり会場が海岸であるということと、神輿が戻っていくという時間がまだ午前8時過ぎという早い時間であるということにあるのだろう。
 今日のように、海風が心地良い、晴れた日であれば、祭りの熱気から外れた砂浜に三々五々座って、海を見ながら様々なことを考えることも自由である。ま、大抵はそれぞれの方にとっての目下の懸念事項、心配事を考えるのだが、そのほとんどは些細でもあるのだ。特に今日が過去になったころには。

 よしだたくろう、の、「祭りのあと」では祭りが終わったあとの寂しい気分について切々と歌われる。男って情けないねエ、みたいな歌詞が続く。浜降祭の「祭りのあと」はまだ午前9時前であるから、これがまたいいですね。その寂しさの加減がちょうどいい。今日の活動がこれから始まるという余裕みたいな感じもあって。
 というわけで、ここに貼ったような浜降祭の写真は、ダイナミックではないし祭りのピークを捉えてはいない。でも、もしかしたら、浜降祭に持っているイメージから「行かない」と決めている人がいたとすると、そのイメージを覆して、ちょっと行ってみたく、なりませんかね?・・・・ならないか・・・


少し離れた位置から練り歩く神輿を見る。こういう風に写っている人がみな後姿でかつ動きがないと、のんびりとした感じが出ますね。


神事後、各神社に戻るために再び担がれる神輿は、やはりそれは「帰り道」なのだ。


海風、気持ちいい。


坊主頭の男衆、十数年前よりずっと減ってしまったような気もした。そういえば昔はマーチだかファンファーレだったか、そんな風な音楽も鳴っていたようにも思うのだが、いまは解説の「放送」が入るだけだった。でもこの「放送」担当のDJ(?)の方、お上手。


当然、子供達は波打ち際で遊ぶわけで・・・。


そして家へと、何をやり残して?

 ところで、今朝、この祭で撮った写真は611枚だった。いいのか悪いのか・・・

RED GARLAND'S PIANO

RED GARLAND'S PIANO

今日の午後は、これらの写真を整理しながらグルーヴィーではなく、これを聴きました。