写真から呼び覚ます記憶 あるいは 情けないこと


 上の写真は山口の湯田温泉にあるジャズ喫茶ポルシェ。2004年の5月に一人で山口に行ったときの写真。

 下の写真は、2001年の夏に松江に一人で行ったときのネガからで、下上が宍道湖の夕陽で下下が松江温泉駅近くのビルのWEATER REPORTの看板です。

 このブログの何日か前に、とある夏に宍道湖で夕陽を見ながらコルトレーンを聞いたことがある、なんてきざっちいことを書いたこともあり、白黒のネガからスキャンしてあったデータを探してみたらこんなのが写っていました。

 松江では、到着した日の夜にこのWEATER REPORTを探しつつ夜の散歩に出たのだが、店を見つけられず、翌日は一畑電鉄で出雲に行ったのだが、その前にもう一度探したら見付かった。見つけたけれど営業はしておらず、こうして看板の写真だけ撮っておいたものです。

 今もそういうことをするけれど、このころはどこかに旅行に行くと決まると、ネットでかなり念入りに旅先にあるジャズ喫茶を調べておいて、行くようにしていた。

 それで、そういえば山口でもジャズ喫茶に行ったなあ、と思い出し、またぞろ写真データを探したら上のカラー(デジカメを買ったばかりのころ)が見付かった。
 そして、こうしてあらためて写真を見ると、手前に写っているのは何か?としばらく凝視してしまった。そのうち、これが自分が足を組んでいて、そのジーンズの上に広げた雑誌なのだろう、と見当がついた。右ページの上の方は、なにやら毛むくじゃらの男の腕の白黒写真のようだ。よくみると、テーブルの向こうには延長コードみたいなのとか、畳まれた椅子?あるいはしまわれた楽器?がかすかに見える。しかし、ここで眺めていたこの写真がなになのか?この雑誌がなになのか?までは思い出せなかった。

 古い写真を、もうすっかり忘れている古い写真を、こうして何かの機会に引き出してみると、それは記憶をたどるきっかけになるわけで、その記憶は自分自身の中で時とともに変容しているわけで、だから写真は(というか写真と自分のあいだの関係は)時間とともに変化しているってことを、いつもどおり感じた。「撮られたときが古い写真」はあっても写真は常に新しく、というか「今」見るものに作用する。




 30日。会社帰りにTSUTAYAに寄り、日本映画三本借りる。3本を持ってレジへ行こうとし、ふと店内を見回すと、DVD4本1000円と書いてあるチラシを発見。いま自分が借りようとしている旧作が7泊8日でいくらするのか?4本1000円の方が安いのか?値段表かなにかをよく見て考えればよいのだろうが、まあ、とにかく聞いてみようと思う。そこでレジのお姉さんに、4本だと1000円なのですか?と、聞いてみる。お姉さんは「はい、4本だと1000円になります。一本250円で3本は750円になります。」と答えている。
 即ち旧作においてはあくまで一本250円であって、4本借りると一本あたりが割安になるとか、あるいは3本より4本の方がむしろ安くなる、ということは全然ないのである。
 しかし、私は、最初の「はい4本だと1000円になります」を聞いた途端、なんと言うのかな、思い込みを補強されてしまった、ような感じで、すっかり4本借りた方が得なんだと早合点してしまった。だから「では、もう一本借ります」と言って、DVD売り場のある二階へと戻る。しかし、戻りつつ、いま言われたことを反芻する。あれ?あれあれ?れれれ?
 気がついて、引き返し、三本を借りました。少なくとも四本を借りなくてよかったとも言える。が、やはり情けない。

 31日。車検のため車を大磯の自動車店に持っていく。明日の夕方までかかるというので代車で帰る。代車のガソリンは使う分くらいは補給しておいてほしい、と言われたので、だいたい今日明日の使用予定量を鑑み、若干サービス気味の10リッターを入れるべくガソリンスタンドに入る。
 初めて運転する車なので、若干操作に戸惑っている。お兄さんの誘導で車を停めて、次に何するんだっけ?あわわ、あわわ、となっている。まずエンジンを止めて・・・あれ、サイドブレーキを引いていないままエンジンを切ったせいか、車がきゃんきゃんと警告音を鳴らし始めたぞ。とか思いつつ、なぜだかあせって鍵を抜こうとしている。抜けないから余計あわてる(サイドブレーキを引かないと抜けない仕組み)。それで、結局、サイドブレーキを引いて、抜かなくてもよい鍵を抜いて、肝心の給油口開閉レバーの操作をしないまま、お兄さんに鍵を渡そうとしてしまった。お兄さん、当然だけど「鍵はいらないです」と言い、ドアをあけて、レバー位置を教えてくれる。
 なんか盗難車に乗ってきたワルモノみたいな私です。


 31日午後、google map で某町の航空写真を見ていたら、射光線が作り出す樹や家の影がきれいで、おもわず拙者は接写してしまった(接写と書こうとsesshaと入れたら拙者と来たので、面白くてそのままにしました)。それをいじくり倒したのがこの写真です。