久々に読んだ小説


 25-27日、仕事で北京へ行っていました。やはり仕事の合間の写真には気に入るものがなかった。せいぜいこの程度で。

 飛行機の中で、久々に新潮文庫版でブローティガン著「アメリカの鱒釣り」を読了。学生時代の私が何度も繰り返し読んでいた本。その後もときどきめくって、でも読了したのは数回だろうか、だから最初の方は親しんだものを懐かしく読む感じで、後半は新鮮なところもあった。もちろん読むほうの私も年齢とともに感じ入るところが変わっているのだろう、あとから考えるとこれはあまり良い読書態度ではないのだろうが、今回初めて本質を理解したところもあったように思ったりもした。しかし、本質はなにかをさぐろうとすることは、何か既存の意味にしがみついて落ち着き先を探すようなことと間違え易くて、どうやらこれは後者のようで、本当は若いころのように「雰囲気」みたいなことを「かっこいい」と感じて読んでいた、それの方が重要な読書だったのだろう。いや、「だろう」などと決め付けるのもこれまた良くないか・・・。
 新潮文庫版のP128あたり「<アメリカの鱒釣りホテル>208号室」なんかを読んでいたときには、この藤本和子の訳というのは、村上春樹登場のはるか前に、こういう軽くてポップな文体を最初(かどうかは正確には調べてないから不明だけど)に打ち出したすごい訳なのではないのかとふと思った。
 あるいは「<アメリカの鱒釣り>と最後に会ったときのこと」を読んでいるときには「羊をめぐる冒険」の最後の方の、鼠と僕の会話を思い出したりもした(ちょっと切迫度みたいなのは違うけど)。
 ブローティガンはふとはぐらかして謎に包む。村上春樹はやれやれといいつつも敢然と謎に挑む。

 若い百日紅の花って、線香花火みたいだな。と、最近思いました。
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アメリカの鱒釣り (新潮文庫)

アメリカの鱒釣り (新潮文庫)


 飛行機の中では邦画「パーマネント野ばら」を見た。すさまじい悲しみが潜んでいる話なんですね!全く予備知識なしに見ていたから、だんだんわかるにつれて、驚いた。今年になって、なんやかや、ほとんどがレンタルDVDでとはいえ40本くらい映画を見たけれど(ほとんどが邦画)、これは相当な秀作だと思う。