中央線文化って?


 中央線文化ってどういうんだろう?ウィキペディアに解説が載っているかと調べたがないようだった。中央線文化で検索しても、その意味や定義は知っているという前提で使われている記載ばかりが出てきて、そもそもその意味をなんとなくしか捕らえていないのでこの際ちゃんと知りたいなと思った私の疑問は、解決しない。
 新しい町が、ちょうど何かを変えようと言う(反体制的な)意気込みに満ちた時代に重なって出来て、その町には若い人が住み着く要素(例えば家賃が安いとか大学に通うのに程よい距離だとか)が揃っていたために、若い人達が自然に集まって来た。しかし世の中の常として、若い人達の夢や思いは、挫折や後悔にまみれる。でも何かの革命は僅かでも達成できたかもしれないし。あるいは夢は破れても何かの誇りが残ったかもしれない。そして半世紀を経て、新しかった町の並木や建物は、同じく半世紀分歳を取った若かった人と一緒に、時間を刻んだ。だから高く伸びた木々や、色褪せた壁の片隅に積もった若かった人達の夢の残滓、それが残滓なのに、それでも受け継がれる新たな夢や誇りもあって、以上が作り出す「社風」や「校風」にあたる「沿線風」が出来ていて、それがもたらすものが中央線文化なのかもしれないな。

 六日の土曜、余白やさんからお誘いを頂き、余白やさんの友人の方が出店をしている阿佐ヶ谷の神社境内で開かれる骨董市に行って来た。
 朝から左下の奥歯に鈍痛。昨年も十一月に歯が痛くなった。季節との関係があるのかな?だから阿佐ヶ谷に行くかやめるか、逡巡があった。しかし、阿佐ヶ谷にはもうすぐ取り壊されるかもしれない阿佐ヶ谷住宅という公団の団地があるということを思い出し、ちょっとその辺りを歩いてみたくなり、それが歯痛を押し退けて出掛けることにしたのだった。
 阿佐ヶ谷住宅をイチゲンさんてき物見遊山的気分で見に行くのはあんまり褒められた行為ではないな、という自責な気分もあり、ひっそりと息を潜めてさささっと歩いて来た。スイマセン。でも聞きしに勝る魅力的な、佐藤春夫の美しき町がそこに現出していたかのような、そして前述したみたいに木々が伸びた中に夢の残滓があるようで、通りすがりの自分勝手な思いで失礼だとは知りつつも、もうほとんど住民がいなくてもロボットに守られた天空の城ラピュタに花が咲き乱れていたように、美しくも悲しい。
 骨董市。晩秋の昼下がりの境内は、まだ落ちていない渇いた色の、プラタナスやユリの紅葉みたいに、冬を前にした最後の平穏の中にあるようだった。そんな中で余白やさんと、友人の骨董屋さんと、デザイナーの先輩の三人が、駄洒落を連発しつつニコニコと佇んでいるその様子は、なんだ、そこのその三人こそが中央線文化なのだな、と見えましたよ。