例えば三ヶ月前の写真


 この写真は昨年の11月に藤沢駅南口で撮影した写真。
 今日は寒くて、霙交じりの雨がときどき降ってきて、三連休なのに昨日も雨、今日も雨。
 昨日は家族の某が購入したノートパソコンの設定作業(無線LANの設定とか、ウイルスソフトの設定とか、オフィスの登録とか、あとは、初期状態を保存するDVDを作るとか・・・)で一日中パソコン画面を睨んでいた。身体は動かさないのに疲れるものです。
 それで、今日は少し散歩をしようと横浜で開催中のCP+に出かける。会場内の御苗場コーナーでは、参加型の写真展が開催されていて百人はいるのかな?一人一畳程度の広さの展示スペースを使って作品を展示している。数年前には須田塾大阪のHさんも出展していた。そのコーナーの写真を鑑賞する。このブログをときどき覗いて下さっているBさんの展示、非常に精緻に端正込めて作りこんだ花の写真を四点。私の写真とは全く違って、あるいは私が撮ろうとしている写真とは全く違っているが、完成度が高いと感心するし、みとれますね。
 蜂の標本とかPCモニター上の砂時計マークとかの記号的イメージと家族のどちらかというとのっぴきならない場面のモノクロを組み合わせていた女性の方(学生コーナーだったかな・・・)のブックは面白かったな。川内倫子をもっと暴力的にしたような。

 そのあと、会場を出て、雪でも激しく待っていれば大桟橋にでも行って船と雪の景色でも撮ろうかな、と思っていたが、霙交じりの雨。ぱっとしない。ぱっとしないがすぐに帰宅するのも悔しい。それでなんとなく野毛の方に歩いて行くと、三幸苑という中華屋さんがあって、中は随分と混んでいる。なんか古い店で、外観までふくめて中華の油にまみれているように見える。一人の客が食べ終えて出てきたら、あたりに炒め物の匂いが漂い、逡巡していたのがそれで後押しされて入る。ギョーザセットというのを頼んだが、その後の観察の結果、ほぼ全員の客がタンメンを食べていることが判明した。でもギョーザも美味しかった。
 壁を見るととんねるずのテレビ番組きたなしゅらんの三ツ星表彰状が貼ってあって、平井アナウンサーの色紙がその隣に掲げてあった。

 食べ終えて、少しぶらぶらしたが、やっぱり気分はぱっとしないのだった。それで二時ころには帰宅する。4月の個展に展示予定の作品のうち、A3ノビに伸ばす6枚をプリントする。

 先日のプレイスMで瀬戸先生と須田先生のトークショーで、瀬戸さんが最近はデジタルを使い始めたと言い、須田さんに「須田先生は使わないのですか?」とお聞きしていた。須田先生は「撮ってしまったからもうそれはどうにも変えようがないのだが、それでも撮ったときと写真が出来てくるまでのあいだの時間が大切で、そのあいだに、どんな風に写っているのだろうか?と妄想することが楽しい。デジタルは撮ってすぐに見て、消したりもできて、なんだかそこが違う」と言う主旨のことを答えていらっしゃった。
 それで、今日、野毛で撮った写真があまりにもいい加減な気分の故なのか碌な写真がないから、では時間をおいて、しばらく前に撮った写真を見返してみたらどうなのかな?と考えた。須田先生の言う「妄想」とは違うが、そして撮ったその日に一度は見てしまった写真だが、そこは加齢の老人力で、いま見返すと初めてみるように新鮮でもある。そうして選んだ一枚が上の写真というわけで、人というのは何十年も同じように四季を繰り返して生きているのに、今の季節にリアルタイムで暮らしていると、ほんの数ヶ月前のことでもそこにあった晩秋という季節の詳細をすっかり忘れているのか、そのせいか、それが現実ではないことだったような気分が入り込んで見えているようにも思える。おおげさに言えば、夢のように見えたりもする。ははーんこういうのが懐かしさの元素なのかもしれないな、などと考えてみたりしました。