県立美術館葉山


 神奈川県立美術館葉山へ行き「視覚の実験室モホイ=ナジ/イン・モーション」展を鑑賞。
 14:00〜16:30じっくりと鑑賞。時代の先端で様々な表現にトライしてきた軌跡がじっくりと見ていける。絵画、フォトグラム、オブジェ、写真、映画。
 フォトプラスティックという、図録の解説によれば「既存の写真を切り抜いて組み合わせ、構成主義絵画にも通ずる幾何学的な線描を加えたコラージュ作品」の作品がかっこいい(かっこいい、なんて感想は、稚拙でよく判らないのだけれど、ほかに上手く言えない)。ホックニーのコラージュとは全然違う。私はホックニーのコラージュも好きで、子供が小さかったころにはいろいろと真似してみたものだ。
 スライドショーで1930年代〜40年代に撮影されたカラー写真を大画面に投影している。これも図録の解説によれば「1934年にオランダの印刷会社でカラー写真の実験を開始したモホイ=ナジは、シカゴ時代から本格的にカラー写真に取り組み、ペンライトによる光のドローイング、抽象的な色光の反射と影による画像などを制作した」とある。しかしこのスライドショーには、そういう作品として作られたものだけでなく、たぶん本人は記録のつもりだったと思われる作品の記録や、あるいはこれも作品を撮っているという意識はなかったんじゃないかな?所謂家族のスナップ写真や友人のポートレートなども混ぜられた構成になっている。本人がもしこの見せ方を知ったら、困惑したかもしれない。でもって、結局は写真趣味べったりの私は、このスライドショーが一番面白くて、50-60枚くらいのスライドショーを三巡も見てしまった。1930年代、40年代に既にここまでの色再現の写真が作れたのか!という驚きもあった(もしかして最近デジタルリマスターみたいなことをやったのかな?)が、それでも色再現や解像度は、最新の機材を使った写真とは違って、そういう忠実再現度の低い写真を見ると、すりこまれた反応として(?でいいのかな・・・)懐かしさを感じるようになっている。それから、これもよく思うけれど、そのころの家族スナップは(今よりもとくに)幸せの場面の記録が多いのかな。いや、いまでもほとんどの家族スナップは休日や晴れの日(天気の晴れもあるけど、晴れ舞台のハレ)の写真だろう。そういう推測が正しいのかどうか知らないけど、古い家族スナップを見て感じる懐かしさは、もっと言うと、(あのころは)幸せだったと感じる懐かしさであることが多いように思う、がどうだろうか?他人のアルバムの写真であっても、それが自分の記憶かのように「あのころは幸せだった」と感じる。今のことは無関係に、あの頃が愛おしくなる。
 あれ?モホイ=ナジとは関係ない方向に話がずれてますね。
 このスライドショーは、そういうスナップと、友人や自分のポートレートと、作品そのものとが、混在していて、それがほどよい抑揚になっていて、全体の色調や解像度は上記の通りで、そういう全てが重なって(きっと、一枚を見せている設定秒数のちょっと早いかな、と思わせる設定もうまくて)見ごたえがあった。
 マルセイユの街歩き映画も楽しめた。コントラストの強い(故意というより当時の技術ではみなこうなったということなのだろう)白黒映画を見ていると、これも賛同できない方が多いと思うけど、森山大道の「ハワイ」を思い出した。街歩きスナップの視線ということでいえば、いやいや、スナップの視線というより、もっと生の段階の人間の視線は、いざこの街をちゃんと見回そうと思えば、誰でも共通なところがあって、それは人が人を肯定的に見る、みたいなことなのかもしれないな、と思った。
すると、よくもまあ、こんな地球なんていうちっぽけな惑星にこれだけの世界が出来ているものだ、なんて変なことを感じるのだった。