ニセアカシア会議 あるいは 適度に荒れた庭


 夜。蒲田の浜焼きの店でニセアカシア発行所の編集会議。議題はニセアカシア2号とIIさんの写真集について。
 今日の私個人の「状態」(ってほどのことでもないか・・・)は、いつもより乗り気が薄れている感じ。他メンバーに申し訳ない。Mさんが作ってきて下さったページレイアウト案を見ても、これでまったく異論はありません、ちゅうか、異論が出せる精神状況にないような疲れた気分が、私に内在しているようなのだった。否定的発言ばかり。

 最新号(なのかな)の雑誌ブルータスの「イームズハウスはイームズホーム。」号の075ページにブランコのある庭の写真があって、ブランコはあってもなくても多分いいのだと思う、こういう(というのが色合いから来ているのかコントラストから来ているのか判らないのだが)適度に荒れている(適度に荒れていない)、即ちそこを使っている人の飾り気のない範囲での必要性が滲んでいるということなのかな、そういう庭が見たいし写真に撮りたい。以上のことを、最近、思った。

 上記の「色合い」って、色空間上の制限がどうかかったときに出てきてしまうのか勉強不足で判らないが、ひと時代まえのカラーネガフィルムなんかの発色に近い感じもして。そうなるとこのブログにも何度も書いている、写真の技術進化の中で刷り込まれた「懐かしさを感じる要素」であるかもしれない「むかしの発色」が、またもや、私がブルータス075ページの写真がいいと思う気持ちを持つ要因として寄与しているのかな。
 最近、古い(といって十五年くらいまえ)カラーネガを、これまた少し古いフイルムスキャナーでスキャンしていたら、出てくる色が、やはりいまのデジカメほどクリアでリアルではないのに、やたらと「いい」と感じたことがあった。

 IIさんの写真のなかにも庭の写真があって、これがまたなかなかにいい写真なのだ。