うっとうしい雨


 数日前のこと、ぼんやりとYAHOOでニュースを読んでいたら、なでしこのK選手が合コンに参加して、そこで話した監督批判(?)を初対面の男があろうことかツイッターで実況中継し、K選手の話したことが世の中に公になってしまう、という『事件』があったことを知った。それで、K選手や監督がインタビューに応じて、釈明したり陳謝したりしている動画もあった。ところで、K選手のPKは左上隅に突き刺さるような強いシュートで、完璧だったな。
 それにしても、ツイッターで暴露する男も幼稚だが、それをニュースにしてことを荒立てて記者会見までにしてしまう世の中全体もあまりいいもんじゃない。
 誰だって、学生だったら帰り道のラーメン屋やファストフード店で、サラリーマンだったら帰り道の飲み屋で、先輩や大先輩や上司の悪口って、たぶん「絶対に」しゃべっていて、でもそれだからと言って、誰もがみんな先輩や大先輩や上司や先生をすべからく否定したり嫌っていたりしているわけではないしね。やんなっちゃう、とか、やってらんねえ、大嫌い、と言い放つときにも、その根底に例えば尊敬がある場合もあるし、あるいは時間とともに思いは変化するし。だから非公式な、それも非常識に漏れた発言なんかを取り上げるマスコミみたいなところに、嫌ーな気がした。
 同じ日にF大学の学生がブログに「酔ってふらふらになって運転して帰った」とか書いたら、通報されて、運転したのは「自転車」だったけど数十日の自宅謹慎になったという記事も出ていた。これも、もちろん道交法違反だから擁護の余地はないけど、そこじゃなくて、ブログに反応して通報するという行為に嫌ーな感じがした。ブログなんて、虚実入り乱れた気楽な戯言なんだから(ばかりじゃないけど)。
 以上のようなことをここに書くことにした私も幼稚なのかもしれないけど。

 クレーが、一旦描いた作品を切り取ったり組み合わせたり、あるいは線画から輪郭を写し取って彩色して作品にするまでには、どれくらいの時間がかかっているのだろうか。一旦描いてから、それを寝かせているのか、描いている時点で既に「ここをこう切り取って」という案が出来ているのか。
 前者、寝かせている時間が長いという方なら、私にも、このしがないアマチュアカメラ趣味人にも、その気分がわかる気がするのだ。
 撮られてから時間がたった写真は、単に「古い写真」ではなくて、それがいかに時間がたっていても今その写真を見ている人にとっては「今の写真」なのだ、なんてことはこのブログにも何度も書いている。何度も何度も同じこと書いていて進歩がないね。
 そして、なんだかわからないけど、撮られてからの時間がたっている方が、今の写真としてのパワーが上がっている気もするのだ。不思議なことです。
 数年前の写真を見ていると、そのときには気にも留めなかった駒が、今の自分と古い写真が切り結ぶ「今の写真」として浮上したりするのです。というわけで数年前の12月の由比ガ浜

 この7/30のブログは2003年に購入したウィンドウズXPのパソコンで書いているが、すぐ隣で、ヤマダ電機の「型落ち新品大安売り」(?)で買ってきた昨年の秋冬モデルのモデルを立ち上げ中。いやーあれこれ時間が掛かりますね。無線LANをつないだり、ウィンドウズアップデートで80くらいの更新をしたり、ウイルスソフトを入れたり。いまはリカバリーディスクを製作中で、このあとにはオフィスのインストールをして、それから、家族別のアカウントを取って、メールソフトを準備してあげたりして、次にこのPCから新しいPCへデータを動かして・・・。まあ長雨の土曜日には、ふさわしい作業だったかな。

HUgE (ヒュージ) 2011年 09月号 [雑誌]

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HUGEに特集されているウォレス・バーマンって誰だ?気になって買ってしまった。