ありふれた一日でも一日として同じではない


 午前11時過ぎ、カメラを持って家の近所を一回り。この木がたくさん植えられている庭は小道とのあいだに塀もなく、自由に気ままに枝を伸ばしている。最近、私の中で、ご近所では一番の撮影スポットなのであります。撮影時間を見たら7分間で40駒の写真を撮って、汗びしょびしょになって帰ってきた。近くのパン屋で、食パンその他を買ってくるようにお使いを頼まれていたのだが、気づいたら財布を持っていなかった。いちど帰宅してから自転車でパン屋へ。木苺とクリームチーズのベーグル、キーマカレーパン、めろんパン。

 昼過ぎ、鉄砲通り沿いのビル二階にあるカフェ、OZU Cafeで家族のMとランチ。ボリュームも味も五つ星。ランチプレートとカレーのランチ。マスターの可愛い赤ちゃん(5ケ月)に初対面。

 昼下がり〜夜、家族と一緒に某用事で出かける。今日はニセアカシア編集会議だったのだが欠席してしまいました。同人のみなさま、どうもすいません。久々に車で高速道路を運転した。高速に乗り、一番左の走行車線を100km/hくらいで走りはじめると、すぐに遅いトラックに追い付く。追い越すのが面倒くさいから減速して付いて行く。たとえば80Km/Hで付いて行くと、そのうちそのトラックはもっと遅いトラックに追い付いたらしく、車線変更して追い抜いて行く。面倒だから新たに現れたもっと遅いトラックを、追い越しもしない。時速は70km/h。それでいつのまにかそのあたりで一番遅い車に同じ速度で付いて行っていることとなる。車線変更も加速も追い抜きも再びの車線変更もすべて面倒くさいのだった。ひどいもんです。

 この夏休み、13日はヨコハマトリエンナーレに行った、14日は2001年に亡くなった父のお墓詣りに行った、15日は山梨県立美術館に行ってムーミン原画とミレーの種まく人なんかを見てきた、16日は義父のお墓詣りに行きそのあとで大桟橋で写真を撮った、17日は新しいビジネスバッグを買いに横浜のデパートへ行った、そして今日が来て、明日は実家にちょっと顔を出してくる予定。こうしていちいち書くと全部違う一日であって、それでも毎日毎日まったく異なる急転直下の連続なんてことはなく、朝になるとベランダの手すりにカラスが来てそのカラスは毎日同じやつなのだろうか?とか考えながらベランダのカーテンをあけて追い払うし、そのあと生乾きの雑巾みたいに汗で湿っているTシャツを脱いでシャワーを浴びる。ありふれた一日でもあり、ありふれていない一日でもある、毎日。

 このPCのところに山梨県立美術館で買ってきたシュール・ブルトン1888年作品「朝」と、コンスタン・トロワイヨンの1859年作品「市日」という油絵のポストカードが置いてある。
 美術館でこれらの絵を見ていて、結構若いころから父の影響で(父は油絵を描くのが趣味だった)画集や絵画展で絵をたくさん見てきた方だと思うけど、突然に、なんでこういう農村の生活なんかの一瞬一瞬変化している(写真で撮ったような)光景を生き生きと描けるのか?すごいなあ、などと、あらためて思ってしまった。こういうのはイーゼルを立てて風景がを描くのとはわけが違うから、写真に撮ってそこから描いたというのならともかく。これは実景を見ながら同時に記憶を動員して描くのか?