日曜の過ごし方


 パソコンの机に、家族の誰かの宮沢賢治短編集が置いてあったから、手に取ってめくってみたら、最初に「どんぐりと山猫」が載っていた。私が小学生の低学年だったころだろう「どんぐりと山猫」の絵本を持っていて、それを何度も何度も繰り返して読んだのだと思う。短い話だから、小学生の低学年にとっては「風の又三郎」やら「銀河鉄道の夜」やらよりも、読みやすかったのだろう。そこで数十年ぶりかもしれない、読み直してみた。冒頭の「あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。とびどぐもたないでくなさい。」を読んだら、ものすごく懐かしい気分に包まれた。とくに「めんどなさいばん」のところ。

 今朝は七時くらいに起きて、昨晩入らなかった風呂を追い炊きにして、まだまだぬるいうちから浸かっている。42度までずっと浸かっていたら、結果的に半身浴みたいになって肩や顔や頭から汗をかく。風呂から上がり、トーストを焼いて食べる。年明けから飲み始めてしまった血圧の薬を飲む。パソコンを立ち上げ、いくつかメールの返事を書く。
 11時、茅ヶ崎駅そばのヨーカドー一階のDPE店(フジフイルムパレットプラザ)がとうとう閉店するそうで、フイルムや額を半額で売っていると聞いたので、駅まで自転車で出る。自転車はもう何年も何の手入れもしていない。チェーンに油を刺すこともせず、フレームや泥除けやハンドルを拭くこともせず、だからひどく汚れている。一度ちゃんときれいにしたいものだと、いつになく思うが、でも冬は寒くて、春を待とうと思っている。フイルム、ISO400の36枚撮りを十本買ってくる。ここ数年のあいだ、一年か一年半に一度くらい、無性にフイルムで撮りたくなる時期がめぐってきた。だからこれを機に、少しフイルムでも撮ってみようかなと思っている。ずっと使っていないライツミノルタキヤノン6Lや、そういうレンジファインダーのカメラをぶらさげて歩くにはどこの町がいいだろうか?

 フイルムを買ったあとに、茅ヶ崎駅近くのラーメン吉佐で醤油ラーメンを食べる。あとから来たおばあさんの一人客が「去年はいかなかったが今年は千人を超えた」と話しているのが聞こえたが、何の話だったのか。隣のカップルの女の子が「三日に出ちゃったのに休みで、なのに謝りもしない」と愚痴っていたのは何の話だったのか。話の断片が通り過ぎて、私はラーメンをよく噛んで食べようと意識している。それから、昨日、鎌倉の古書店で買った山之口獏の詩集に載っていた、高田渡がその詩に曲を付けた「生活の柄」の「柄」という単語のことを考えたりする。

 休日の過ごし方の「柄」があるとしたら、その「柄」はだんだんだんだんと変わっていて、最近はカメラを持って電車に乗ってあちらこちらに出向いてはあわただしく過ごすという「柄」になっていたかもしれない。
 茅ヶ崎駅に自転車で行き、買いたいものを買って、ラーメンを食べて、また家に帰る。それから部屋の掃除や片づけをしながら、途中で眠くなって小一時間昼寝をする。起きてから、また片づけを再開するが、ずっと手にしていなかったフォークギターをふと抱えてみて錆びた弦を抑えてCとかAmとかぽろんぽろんと鳴らしてみる。それから日が暮れて、またパソコンを立ち上げて、アマゾンとかで何やら検索しているうちにライ・クーダーのまだ聞いていないアルバムを聴いてみたくなり、カートに入れる。
 こういう今日の「休日の過ごし方の柄」は、数年前の柄で最近の柄ではないのだ。それで、この数年前の柄の方がのんびりとしていてストレス解消につながっているのではないか、などと思って今日の日曜日には、なんだかちょっと満足したのだった。

 写真は片づけ途中に出てきた古いプリントの接写。