39年を経て、大磯左義長見物


 1973年高校一年生のときに、たぶん同級の誰かに誘われたのだろう、大磯左義長祭りに行って写真を撮った。ポジのカラーで撮って、平塚の市川写真店にマウント有で現像を頼んだのだが、炎や火の粉が写っているほかは真っ黒で、フイルムの駒と駒の境目が不明のために切る位置が判らない、という理由で、スリーブのまま現像が上がってきた。だから家で適当と思われる位置で切ったのだ。
 そのときのことを思い出すと、なぜか同時にエルビス・プレスリーのハワイコンサートをテレビで見たことがくっついていて、ということはその左義長を見た冬に、プレスリーのテレビ中継があり、当時同級生のS君はプレスリーとかトム・ジョーンズとかの歌手が好きだったと同時に写真も趣味だったから、推定するには、左義長を写真を撮りに行こうと誘ってくれたのはS君だったのではないだろうか?そして、写真を撮りに行ったときにも、S君からプレスリーのことをさんざん聞かされたのだろう。
 それで、このブログをこうして書くにあたって、プレスリーウィキペディアを読んでみたら、なんと
『1973年1月14日、ハワイ州ホノルルで行われたコンサート。全世界40ヶ国、15億人以上に視聴され、コンサートで初めて衛星生中継された。米国では4月4日に放送され、既にこのコンサートのライヴアルバムが発売されていたにもかかわらず、この放送を視聴した世帯数は、人類初の月面着陸の映像を視聴した世帯数より多かった。ハワイの現地時間の午前0時に始まった。これは日本のゴールデン・タイム(午後7時)にあわせたものである。放送は約2時間続いた。このコンサートの目的は、「クイ・リー癌基金」のためのチャリティー・コンサートである』
とあって、どうやら左義長に行った夜にテレビ中継があり、左義長から帰宅して途中からプレスリーのライブを見たらしいのである。
 それから39年経って、そんなに長い時間が経っているなんてまるで信じられない。懐かしいというより、こと左義長に関しては39年の時間がすっぽりと抜けていて、昨年に引き続き今年もまた来ました、といった気分なのだった。
 今朝、新聞を読んでいたら今日が左義長だということを知ることが出来て、それで39年振りに行ってみた。
 高校生のときには火に近づいて炎や火の粉と人のシルエットばかりを撮っていたが、いまは、もっと引いて撮るのが好きになっている。夜の中のある一部分に人が集まっているその光景は、もしかしたら遺伝子のレベルで擦り込まれたかもしれない、人恋しさを誘われる。
 プレスリートム・ジョーンズは何度見ても好きにはならなかったけれど、好きにならずにはいられない、というバラッドは好きだった。「賢人は恋に落ちるなんておろかだと言うけれど、でも僕は君と恋に落ちずにはいられない」みたいな歌詞の。
 S君は高校のいろんなイベントのときにプレスリーの振りを真似していたような気がする。でももう一人のS君が西条秀樹を真似する方が女子には受けていたようだった。君が望むなら、ヒデキ!