横浜ふたたび


 三連休の三日目の今日は朝から好天に恵まれました。気温はますます下がり、出かけるのには素晴らしい好日でした。藤沢の清香園という中華料理店は、今年の三月に開催したニセアカシア写真展の打ち上げに使った店ですが、その大盛況ぶりの結果として、横浜中華街に「支店」を出すに至ったそうです。中華街の本店が他の街に支店を出すのとは逆コースだから、これは下剋上ってことなのでしょうか?先日、近しい某が、その中華街店に行って黒酢酢豚が絶品だったと報告してきました。それを食べたくなったら横浜中華街まで行かずとも藤沢本店で食べればよいわけですが、この好日の中華街散歩もいいじゃないか!ということで家族のMと二人で行ってみました。黒酢酢豚は美味しかったけれども店内の冷房の風が直接当たってきて気になりました。
 そのあと、中華街の中にある雑貨屋とか中華菓子屋とか輸入服(アジアより)屋などをふらふらと見て回って来ました。
帰宅して写真を見たら、なんだかつまらない。もっとも家族のSに言わせれば「じゃあ数か月後にまた見ればよく見えるよ」となります。この論はするどいかもしれない。
 上の写真はウーロン茶のポットですから、それだけです。
 さて、下の写真は小さな店がたくさん入った雑居ビル的な三階建ての店の階段にあった壁に描かれた絵で、ドアが開けてあるのでその壁はガラスの向こうに見えているというわけです。壁に青空の絵が描かれているのに遭遇したことは何度かあります。仙台の(いまはもうないかもしれない)飲み屋が連なっていた路地の男性トイレの、小をする目の前の壁に青空の絵があってそれを写真に撮ったことがありました。壁と便器あいだの段差、一応小用を足すときに持っている鞄なんかを置ける段差(だけどそこに唾が吐いてあったりすることもあるのであまり置きたくない)の片隅には、缶詰の空き缶を使った灰皿が置かれていて、壁一面の青空の絵の片隅にその灰皿を入れて撮りました。
 鎌倉のとあるラーメン屋の入り口の横の外壁あたりにも青空と白い雲の写真が描かれていてそこも撮りました。
 銭湯に富士山の絵があるように、世の中の壁には青空と白い雲が描かれることが多いのかもしれないな。
 自分の撮った写真を見ていると、そういう絵とか、依然はテレビ画面をしょっちゅう撮っていたし、自分の写真にもかかわらず、それをモニターに出して再接写したり、インクジェットプリントを何年か置いておいて色が変になったところを再接写したり、そんなこともしてしまう。これはなぜなんでしょうか?
 と、考えることが多々あって、でも自分なりの回答は出せずにいます。師の須田さんは、カメラ雑誌に発表した新しい作品の口絵ノートで以下のようなことを言っています。
 すなわち写真のうまいへたはさておき、きっと須田一政氏のおっしゃるようなことが、同じく私が壁の絵などを撮る理由なのかもしれない。

以下、引用です。
『ある哲学者は「美は仮象のうちにその生命をもつものだ」と言った。「美」を追求しているかどうかは甚だ怪しいが、私は「かたち」にかなり弱い。マネキン人形、石像、ポスター・看板などなど、いわゆる偽物(形どる物)の類である。
 それらは人の眼に触れることを目的に作られる。見られることこそ存在の意味とも言える。「なんか気になる」と度々眼をやる私はまんまと引っかかっているわけだ。それでも罠にかかった本人としては、そこに人の思惑以上のものがある気がして性懲りも無く撮り続ける。
 なぞられた「かたち」が、実体を超える力をもつこともある。
その力は日常のあらゆる物に身を隠し、道行く私たちに絶え間ない視線を投げかけているにちがいない。』
(須田一政 ANONYMOUS 日本カメラ2012年10月号口絵ノートより)

 みずいろ はいいな。