いしいしんじ その場小説@三崎


 昨日に続き、また三崎に行ってきました。というのは、昨日、三崎の町をうろうろと歩き回っていて、この建物はなんだ?とか言いながら、バス通りに面した店じまいしている古い洋館を使ったカフェみたいな建物を窓からのぞいてみたら、椅子やテーブルが置かれているのが見えて、どうやら何かの店舗だったところを改装したちょっとした集会所かもしれない。そして覗き込んだ窓のすぐのところにイベントのフライヤーが置いてあるのが目について、窓ガラス越に読んだら、11/25開催の「いしいしんじ その場小説@三崎」とあった。なんだろうか?ちょっと興味があったので窓越しのフライヤーを写真に撮っておいて、帰宅してからWebで調べてみたら幻冬舎主催のイベントで、いままでにいろんな場所で50回以上開かれている。いしいしんじが観客の前で、小説を書くのだという。小説の内容がその日の場所や天気等々の「状況」によって左右されながらも、そうして新たな小説が生まれる、ということのようだ。ジャズミュージシャンによるインプロヴィゼーション(即興演奏)に近いのだろうか?短い小説だとしても、それなりの時間がかかりそうだ。2時間くらいはかかるのだろうか?書き終えるまでのあいだ、しんとした中で観客はひたすら息を飲んで見ているのだろうか?いろんな疑問が沸いた。前の晩に申し込んで受け付けてもらえるか判らなかったが、ダメ元で申込みメールを送ったら、すぐに受付完了の返信が来た。そこで昨日に続き、今日も三崎に行ってきた。

 その場小説@三崎は開場が13時半で始まるのが14時の予定だ。12時過ぎに三崎港のバス停留所に着いて、そういうことであれば、いしいしんじの三崎に住んでいたころの日記によく出てきた「まるいち」で昼食を食べようかなと思う。昨日のブログに書いたように「三崎は鮪が名物だとは言っても実際には鮪の遠洋漁業の船は最近は入港していない」という話をバスの中で聞いてしまった。だけど、本当なのか?これもWebで検索すると、鮪の水揚げ高というのが陸揚げ量というのか(その二つの単語の意味が同じなのかどうかわからないが・・・)、その順位を見ると、一位は焼津だったかな、静岡の方に譲っているものの、三崎も上位に食い込んでいる。2位とある年度もあったようだったし4位とかもあったかもしれない。てことは、昨日のバスの中で聞いた話がウソだったのだろうか?
 いずれにせよ、今日は鮪ではなく近海ものの新鮮な魚介を食べようではないか!と思ってまるいちまで歩いて行ったら、やはりと言うべきか、店の外まで多くのお客さんが待っている状況で、あきらめざるをえなかった。まるいちの魚屋さんの方の店頭に並んでいる地物のアジやサバの美しいこと!
 それで日曜日のせいか昨日以上にシャッターを閉めた店ばかりの道を歩いて行く。やはりいしいしんじの日記によく出てくる牡丹という中華料理店の前で入るか入らないか、若干逡巡するが、入らないでまた歩く。結局はまた鮪料理の店に入ってしまった。昨日余白やさんと食べた鮪丼も美味しかったのだが、そのとき追加で頼んだ鮪串カツがなかなか良かったので、鮪ソースかつ丼1000円と書かれた幟に惹かれた。しかしいざ入ってメニューを見ていたら、鮪ほほ肉のたつた揚げ定食、というのが目についてそれを食べた。これまたなかなかおいしかったです。
 店を出るとすでに13時ころになっている。開場時間まで30分しかないが、それでもしばらく商店街を歩いていたら「三崎昭和館」という街角博物館みたいなところがあって、何かな?と外から中をうかがっていたら、ボランティアなのだろうか?初老の男の方が「どうぞどうぞ」と出てきてくださったから入ってみた。館内を丁寧に説明してくださった。昭和初期のころの写真だったか(もっと前だったか?)、たしかに漁港にはものすごくたくさんの鮪が水揚げされている、そういう写真もあった。上の写真は女中部屋にかけてあった服です。

 いしいしんじ氏のイベントは作家が小説を書く机のすぐ前から客席の椅子が並べてあった。私は二列目のいしいさんの顔が横からよく見える好位置に座った。開場はお寺の本堂でいしいさんは、普段なら僧侶が本尊(本堂の正面に置かれている仏像はみな本尊というわけではないかもしれないが・・・)に向かって読経するあたりに、本尊の方でも客席のほうでもなく、本尊に向かって左を前にして座るように、机と椅子が設置されていてそこに座った。そういう向きにしてあるのは、それが一番集中して小説が書ける配置だということだった。縦書きで原稿用紙ではなく白い紙に小説を書いて行くのだが、その書いて行く小説の白紙が残っている側が客席であることが落ち着くというようなことをおっしゃっていた。
 想像していたことと違っていたのは、小説は40分から50分くらいで書き終わるということと、右手で鉛筆を持って小説を書きながら、左手でマイクを持ち、書いている文章をその通りに読んでいくということだ。なるほど、ただしんとした中で小説を書いているのを見ているわけではなかった。
 驚いたのは、開始とともにいしいさんはなんの淀みもなく、ひたすら書くことにまい進していったことだった。これは過去50回以上あったこのイベントのすべてがそうだったのかどうかは判らないが。開始前にいしいさんが言うところでは、いざ書き始めて小説がころころとうまく転がってすんなりと行く場合もあれば、四苦八苦しながら迷走気味に進むこともある(・・・って「四苦八苦」とか「迷走気味」という単語は使っていなかったがどういう言い方をしていらっしゃったか覚えていないので、そう書きました)と言っていたから、今日はすごく順調だったのかもしれない。どこまで事前に話の中身を考えて臨んでいるのかもわからない。今日の場合、三崎が舞台で、いしいさんがよく知っているまるいちの人を登場人物に据えて話が展開したのだが、その程度のことだけを決めてあとはその場の勢いで筆の向くままに書いているのだろうか。まさに50分できちんと最後まで書き終わった。書きながらそこに書いて行くことを読む、という行為がすぐ前で行われていて、なんとなく鉛筆の動きを見ていると、話しているのと書いているのと、その同期の具合はどっちが早いのだろうか?なんてことまで気になって鉛筆の動きを注視してしまう。全体傾向としては話している方が若干早いか、ほぼ同じようだった。たしかに書いたあとに遅れて読むというのは実際にやってみると難しそうな気がするな。
 いしいさんはまるいちの明るい緑の大きなサイズのTシャツにピンクの細いパンツ姿で、スキンヘッドだった。

 小説を書き終えたあと、観客にはお土産として今書いた小説の全六ページのうちの一ページ分だけ、コピーがもらえるという。下の写真がそのお土産です。
 そのコピーを作成しているあいだに、いしいさんが三崎に住むことになった(いまは京都に在住)ころの経緯に関して話してくださった。その話のなかで、三崎が一番華やかだったころには、遠洋漁業の船が入ってくると、長いこと海の上にいた若者を中心にした漁師たちが、まず靴を買い、それから髪を整え、花を買って、スナックなどの女のところに行って遊ぶことになっていて、だから三崎にはやたらと床屋と花屋があり、大きな靴屋もあるのだ、ということだった。いしいさんが住んでいた貸家というのは玄関を入ると二つの階段があり、片方が船長の個室に、片方が船員の大部屋に上がる階段だったという話も聞けた。すなわちやはり、最盛期にはそういう風に大勢の漁師のために町が成り立っていたのが、いまは貸家ということは、そこに戻りそこから出ていく漁師が減ったということを示しているから、やはり昨日のバスの中の話みたいに「今はむかし」の繁栄だったのだろうが、それは単純に静岡の大型の港に基地が移ったというだけのことではなくて、漁船の設備の改変(自動化みたいなこと)による人員削減とか、鮪の輸入量が増加してそもそも日本の漁業で漁獲している高が減っているとか、そんなことがありそうだが、もちろん想像しているだけで詳しくはわからない。
 いしいさんがなんで三崎に移り住んできたかという話も聞けたが、まあいいや、そこまではここには書きません。
 そのあとサイン会やいしいしんじと行く三崎の町のツアー的なものもあったようなのだが、今日まで茅ヶ崎ギャラリー街路樹で開催している古知屋恵子展にも行きたかったので、それらのイベントには参加せずに早々に帰ってきました。

 その古知屋さんは茅ヶ崎在住の木版画家でほのぼのとした暮らしの中の場面であったり、ときにはちょっとした笑いや告発を秘めた社会風刺作品も制作している。ここ数年はだんだんと多色刷りのカラー作品が増えてきている。もう十年近く、毎年秋に開かられる彼女の個展に通っているのだが、多色刷りの作品はますます明るい色調になっていて、それがただ単に明るくて健やかで透明感にあふれているだけでなく、どこかに悲しさがある。でもそれは鑑賞者である私がそこに描かれたような明るい日々を「すでに過去の一時期にそういうこともあった」という見方をしているからかもしれない。

 下の写真が、その場小説のお土産です。

その場小説

その場小説

いままでのこのイベントで書かれた小説が本になっているそうです。