実験工房展再訪(2/23)


 2/23のことです。
 鎌倉近代美術館鎌倉館と鎌倉別館で開催中の「実験工房展」に再訪する。前回、なんだか熱心に見ることが出来ないまま会場をあとにしてしまって、後日に思い返そうとしても何も覚えていないという感覚で、別館で上映中の映画「銀輪」なども見ていなかったこともあっての再訪。再訪して一回目よりはじっくりと見たから「少しはわかって、あまりわからないもどかしさ」に捉えられる。幕末の物語とか、はまってしまうとものすごく奥が深そうで、様々な視点をどの人物にどう当てるかによって何千何万の解釈や物語があるわけで、いや、こんな「幕末」なんて挙げたのはほんの一例であって、どの「今の時代」でも生きている人間の(いや、生きているという限定も間違っているか・・・)数だけの物語が次々と生まれていて、その個々の感情の集積がいくつかの流れになり、くっついたり離れたりしながら何かに向かった(向かっている)わけで、それを一瞬にして知るなんて無謀だし、過去に対して失礼だ。この実験工房もそれがあった時代の若い芸術家たちが何を標ぼうして何にインスパイアされたかなんて、そこにどういう混沌が生まれて、混沌がどういう時代の色を成したかなんて、ちょこっと展覧会を見ただけではわかるはずもない。ただ熱気とうねりとがあったことだけが判るのだ。展覧会の意味は、そういうことをとどめるきっかけであるわけですね。
 福島秀子の絵も、大辻さんの写真も、第五回だったかな実験工房展のために作られた動画も、素晴らしかった。しかしそういう完成作品と一緒に展示される、房総に旅行に行ったときのスナップ、だとか、若かりし谷川俊太郎武満徹等が鎌倉を歩いている白黒のプライベートな動画や、やりとりされたハガキに残された思いの痕跡や、そういうものから伝わる「若気のいたり」も含む思いの記憶のようなことが、この展示の醍醐味だった。

 鎌倉別館から北鎌倉までの道を歩く。この道は私の中ではいつも暗い感じがする。写真を見ると、この細い私道かもしれない小道を上がったら何が見えただろうか?と思うが、そのときにはそんなことは露ほど思わず早く北鎌倉に抜け出たいという一心であったかもしれない。
 北鎌倉近くのいちど行ってみたかった喫茶みんか。名前を忘れてしまったジンジャーだったかシナモンだったかが使われたホットドリンクを飲む。店内にあった多和田葉子の本を席に持ってきて一編目だけを流し読みするが、気分はなんとなく落ち着かないまま。
 でもこの店はすごく素敵でした。