道に迷った夜(2/22)


 2月22日のことです。
 夕方、銀座ニコンサロンで小林紀晴写真展kemonomichiに寄る。昨年キヤノンギャラリーでのトークショーのときにスライドで提示した諏訪の写真が写真集になり展示が行われたという流れと思える。一人の作家を追っていると作品がどう蓄積してまとまっていくかがリアルタイムでわかって面白いという当たり前のことを思った。昨秋のキヤノンでの展示が日本全国の祭りに古くからの信仰が、今というところが表層にある時間の地層の中に熱泉のようにあって、それがどこか地層の裂け目から噴き出しているところを拾い集めたような視点だったとすると、その後、そこでの視点の当て方を自分の故郷の諏訪に当てて行くとより地層の断面構造が見えやすくなり、その源泉が複雑に絡み合って昇華してから噴き出していることと、最表層には将来地層になっていく今の暮らしのうごめきがあり、その少し下に家族という単位のまだ細部の具象が見える時間がつながっている、といったようなコトに感応している写真家が見えてくる。
 写真や絵を見るときに、大規模回顧展みたいなやり方だと作家年譜とかウィキペディア的な作家概要が知らされ、たとえば時間とともに変容した作風を時代や私的出来事と絡めながら解説され、それをアシストに見ると確かにわかりやすいが、それはなんというかノンフィクションの本を一冊だけ鵜呑みにして読まされて解釈を誘導される感じも否めないわけで、だけどそういうことがないと、それを超える自分だけの感動の道筋はなかなか立ちにくいだろうな。
 そう考えると、こんな風に、今回はたまたま小林さんの「流れ」に接したので面白く感じたが、誰かをフォローしていくことって同時代に許される楽しみなんだなあ、と当たり前のことを感じたりした。
 音楽に置き換えるとなんでもわかりやすいけれど、ビートルズのベスト盤を今聞く人たちより、60年代に新譜が出てはそれをターンテーブルに載せて聞き込んで、また次の新譜を聞いて、今度の方がいいとか悪いとか、どこがどう変わったとか変わらないとか、ファンであればそのアルバムがチャート何位になったかとか、ツアーがどう企画されたとか、そういう中に一緒にいることがいかに官能的な出来事であることか。さらに、そのアルバムを誰かに貸したらスクラッチノイズが付いたとか、貸そうとした相手がひそかに好きな人だったが実はビートルズが嫌いなことが判ってがっかりしたとか、私小説的な個人の出来事までまつわりついて来る、その磁力の大きさが時代を席巻したとか後日に評される元になっている。
 だけどそういう磁力の大きさって、いまの最大値は六十年代の最大値の半分にも四分の一にも満たないかもしれない。と、感じるのは世代的腐敗の現れで、いつの時代も年配者はそう言っていたのかもしれない。映画「ミッドナイトインパリ」を数か月前にレンタルDVDで見たときにはそう思ったりしました。

 小林紀晴展のあとにニコンサロン近くで所要があり、それが終わってから、あまり寒くないので東京駅まで街角スナップしながら歩いてみることにした。ところが北に向かっていると思ったところが、東に向かったようで途中から思い通りの通りに出ないことに気付く。でも東京の銀座あたりだからなんとかなることは当然わかっていて、だから安心な中でのちょっとした不思議な感覚になる。ここどこだ?とそれを明らかにしたいという小さな思いが弱く明滅するが、写真を撮る方に夢中になりさらに適当に路地を曲がった。
 結局、築地近くの交差点にあった地図を見て、北のつもりが東へ来ていたことが判明、結構歩いて三原橋へたどり着く。閉館間近のシネパトスのある短い地下道に、閉館間近のシネパトスがあるからちょっと通ってみようという酔客がたくさん降りていき、それぞれの想い出をまくし立てている。近くの袋小路の飲食街は健在なんですね。

 有楽町から東京まではガード下を通り、たとえば「藤森ミルクワンタン」なんて店がまだあるので行かないくせに「よかったなあまだあって」と思ったりする。