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 記憶に間違いがなければなのだが、グループサウンズが全盛だった1960年代後半に、ビートルズの主演映画を真似ようなんていうこともあったのだろう、スパイダースとかタイガースとかが主演する映画が何本かあったなかに、時間が停まって動いているすべてのものが停止したなかで、主演の連中だけが動くことができて、再び時間が動き始めるまでのあいだに何かを一生懸命に行って、たぶん最後はハッピーエンドになるみたいな映画があったと思う。これも不確かなのだが、筒井康隆の短編に、自分だけが世界の時間の進行の中で飛びぬけて何事も、体力的にも精神的にも何十倍も何百倍も早く活動することが出来るようになって、それでタカを括って彼にとっては「異常にゆっくり」動いているトラックの前で居眠りをこいたら、手だか足だかがひかれかかって目が覚めてももう抜け出せない、という悲劇に見舞われるという話があった・・・ようだ。

 ダグ・リカードという写真家が車に据え付けられたカメラで自動撮影されたグーグルストリートビューの中から切り出した写真で「A New American Picture」という写真集を出して、話題になっているということを、今月号のアサヒカメラの小さな記事で今更ながら知った。どうやら、それがダグ・リカードの写真集と言っていいのか?という、予想通りの頭の固い人の反論というか糾弾が起きているらしい。
 グーグルストリートビューに鑑賞回数制限が「一回」という制約と、一時停止や巻き戻しが出来ないといった制約があったら、それがPCモニター上に再生された、いちど他の(自動撮影とはいえ)カメラで撮られた動画であったとはいえ、さらにそこから切り出すための写真家としてのシャッターチャンスや構図といった写真家としてのテクニックが求められるから、それなら暗黙のルールとしてもダグ氏の作品として認めることに違和感はないのだろうか?
 繰り返し再生や一時停止やスロー再生や巻き戻しやらがあるから「じっくりと」撮るべき瞬間を選べる、構図とシャッターチャンスを時間をかけて吟味できる、ということで、写真家としてのテクニックが求められないから、問題である!と糾弾者は言うのかもしれないが、じゃあ、同じストリートビューからAさん、Bさん、Cさん、Dさん・・・が100枚の写真を同じ方法で撮る(動画の駒からセレクトする)ということをやるとすると、たぶんそれぞれの100枚は大きく異なっているのではないだろうか?だとすると、この写真集はやはりダグ氏の創作だろうとは思うのだ。「写真家」というよりも「同時代の表現者」なのだろう。
 そしてダグ氏が先駆者であるなら、フォロワーより格別であることも当然だとは思うのだ。

 世の中を一時停止やスロー再生にして都合を果たしたグループサウンズ映画のようなダグ氏の行為だと思ったということです。