夕暮れ間近


 日が長いから、散歩をしてみた。住宅街の中に広がっている空地にはひなげしがたくさん咲いていた。
 散歩をしながら、五感に、とくに視覚に入ってくる情報から花の名前や雲の名前やを照合してみたり、あるいは嗅覚に入ってくる情報から、この家の夕食はカレーライスだなと判ったりする、そういうリアルタイムの理解をしている状態をAとし、散歩しながらなにかリアルタイムに直接は関係のない命題や目下の悩みやらを考え込んでいる、そういう状態をBとすると、最近は主にAが多くてBが少ない感じがする。写真はきっと安易に「ミラー」or「ウインドウ」に分けるほど安易ではないものの、と断りながらも、そういう分類をしてしまうのだが、Aのときに撮る写真は「ウインドウ」であることが多く、Bなら「ミラー」の写真になりやすい、なんてことがあるだろうか?一体どうしてこの白い家をこうやって撮ろうなんて、そういう発意が起きるのか?それが自分で判らない、というその「判らなさ」のなかに漂っている。