サウダージって? または、小さい家の魅力とは


 もっと会場の近くにいれば花火大会の終了を知ることが、たとえば案内放送があるなどして、できるのかもしれないが、私が花火を見ている場所からは花火大会の「おわり」がすぐには判らない。終わったことは、最後に花火が上がってからもうずっと上がらなくなったということと、そういえば最後に上がった花火が一番の連発花火だったことと、そういうことが総合的に自分の頭のなかで考慮されて、あるときに、あーっこれで終わったんだな、と判る。判るというよりそう「理解する」とか「腑に落ちる」とかそういう感じだ。腕時計やスマホに表示される時刻と、事前に調べるなりして覚えていた終了予定時刻を照らし合わせて合理的に「おわり」を判断することもできるわけだが、そうしたことが一度もない。こんな風に会場近くまで行かないで、家のベランダから、住宅の屋根の上にかろうじて見える花火を遠く眺めるときには、そういうときは音と光の時間差が生じていて余計に哀しい感じがするのだが、その哀しさもあるのか、花火大会の「おわり」はますます曖昧で、夏の終りを認めることの縮図のような花火大会の終りだと感じる。♪祭りのあとの淋しさが いや でもやってくるのなら ♪と拓郎は歌っているが、淋しさとか哀しさって、寂しさと悲しさではなくて、微妙なこの気持ちはなんと呼ぶのか。よくブラジルの方が(例えばボサノバのことを話しているときなどに)言うサウダージという単語は、こういう感覚を言うのかな。今日時点のウィキペディアで「サウダージ」を調べると『ポルトガル語公用語となっているポルトガル、ブラジル、アンゴラなどの国々で、特に歌詞などに好んで使われている。単なる郷愁(nostalgie、ノスタルジー)でなく、温かい家庭や両親に守られ、無邪気に楽しい日々を過ごせた過去の自分への郷愁や、大人に成長した事でもう得られない懐かしい感情を意味する言葉と言われる。だが、それ以外にも、追い求めても叶わぬもの、いわゆる『憧れ』といったニュアンスも含んでおり、簡単に説明することはできない。』とあるから、少し違う気もするが。しかし、遠い花火を見て、われわれの心に起きているのは、もしかしたら「過去の自分への郷愁」ということなのかもしれない、とも思う。
 この写真は、最後の花火が終わって、それでもまだ「おわり」が確信できない人がいる時間の砂浜です。

 六月に中村好文展「小屋においでよ」を見たのだが、なぜに小さな家に憧れる気持ちがあるのか?私が中学生のころの流行歌「あなた」という曲でも、あなたとの結婚と幸せな家庭を夢見る女の子は「小さな家」に住みたいと思っている。コルビジュエの小さい家をはじめ、立原道造が思い描いたヒヤシンスハウスなどなど、小さい家を「企画」した例は山ほどあって、その「企画」をわれわれは愛おしく思う。自分の手の届く隅々まですべて自分の領分として十分にコントロールする(イコール愛おしむことができる)大きさがその気持ちの根底にあるのだろうが、そういうことより、必要最低限で過ごすことに対する清さ、単純なことの美しさ、といったことの方が大きいのかな。小さな茶室なども似たような精神が実っているのかな。
 中村好文氏はインタビュービデオの中で、子供のころにミシンにの下にもぐりこみ、周辺に新聞紙を垂らしてその小さな空間を囲い、そこにじっとしてラジオを聞いていた、そういう時間が好きだった、といったことを話していた。この逸話にはとても共感した。私が小学生のころには四畳半の自室の「地図」を作って、その小さな部屋を自分の「王国」のようにとらえたいと思っていたことがあったし、友達と「基地」遊びをしていたときには、少し年上のお兄さんたちが作ったツリーハウスまがいの樹上のスペース(枝と枝の間に板を打ち付けて、一畳くらいの平面が作られていた)に上がらせてもらったときには、いまでもはっきり覚えているのだが、その樹上基地がカッコよく思えて大好きになったものだった。自分の子供たちが幼稚園〜小学校低学年のころには、丸めた敷布団(マットレス)や椅子やタオルケットや段ボールを使って、部屋の中に複雑な「お家」を作って遊ぶ「お家ごっこ」をして遊んであげていたが、自分も一緒に楽しんでいた。通路やトンネルの奥の、子供が一人だけ座っているような場所に好きな本を持ち込んだりするのだ。
 ムーミンの作者であるヤンソンが夏の間住んでいた小さな家の展示が行われていることを教えてもらった。
http://www.a-quad.jp/exhibition/059/pamph.pdf
 解説によると「夏、フィンランド人は自然の中で簡素な暮らしを楽しみます」とある。この「簡素な暮らし」を楽しみたいということは、小さな家に憧れるのと同じことだろうか。

 ところでこの展示の案内に使われている電信柱(?)に並んで立っているヤンソンさんの写真は、画面の左からの風が写っている。髪が風にあおられていることや、シャツやジーンズも風にあおられていることから風向きや風の強さの感じも判る。どうやら風上を向いて目を閉じているヤンソン氏の表情も写っている。こういうように風が写っている写真は、撮られてから時間が経った写真であっても、とてもリアルだと思い、そこからしてこの写真がすごく魅力的だ。