夢の話


 22日にTOKYO ART BOOK FAIR 2013会場でクサナギシンペイ氏自身から、本フェアのために制作されたzineを買ったこともあって、未読本タワーから、この春に七割程度読み進んだまま読み終えずに埋もれていた画文集「清澄界隈」を引っ張り出し、あらためて最初から最後まで全部を23日の夜に読んだ。掲載された文章(エッセイ)は40分もあればすべて読み終えることが出来る。わずかに半年くらいしか経っていないのに、読んだことを忘れているエッセイがたくさんあったが、旅先のカフェの店主に掌を包まれたときの話などは、よく覚えていた。
 後半に収められたエッセイで、夢の話がちょっとだけ出てくる。寝ていた見た夢というのは夢を見た本人にとっては荒唐無稽でかつ自身の経験のように夢の中では真剣だっただろうから、とても強烈な経験に近いのかもしれないが、それを聞かされる方は、あるいはそれを記録した文章を読まされる方は、それほど面白くないのではないか。60年代や70年代に書かれた小説によく夢のことが書かれている。いや、今でも夢を物語の交差点や分岐点の暗示やきっかけに使うという、きわめてチープというか要領がよいというかインスタントな使い方をしている小説に出会って、ほとんどの場合が呆れてしまう。そう簡単に現実事件の暗示や解決が夢に現れるわけないのだ。
 60年代70年代に多かった夢の話は、もっと前衛的なこととか荒唐無稽さを書くような指向に沿っていたのかもしれないが、それにしても、少なくともいま読むと退屈なものが多い気がする。当時は面白かったのかな?
 クサナギ氏のエッセイは夢の話をきっかけにしているだけで、そこからある記憶が蘇ったというような風に展開する。
 それを読んでいて、記憶が蘇るということではなく、単純に私が最近見た夢を思い出した。上に書いたように、ではその夢の話をここに書くとすると、それは「退屈」「面白くない」のだろうが、これは夢が自分の性格の「欠点」を指摘しているようなところがあった。それで、ちょっと書き残しておきたくなった。というわけで、多分、つまらないので以下は読み飛ばしてください。

 夢の中で、私は妻と娘と、もしかしたら息子もいただろうか、どこかのレストランで外食をしようとしている。レンガ造りの外観を持っているようなレストランで、夜だから夕食だろう。たぶん洋食屋のようなところ。
 ところがそこで何か自分の気持ちがいらいらすることが発生する。注文した料理がなかなか出てこずに、後から来た客にどんどん料理が出ているのが気になる、とか、なにか店の対応が気に食わない。ところが家族はみな、私のようには思っていないようで、もっと泰然というか悠々というか、あるいは、のほほんというかのんびりというか、些細なことを気にもせずに楽しげにしている。その様子がこれまた気に食わない私は「もういい!」とか叫び、もしかしたらテーブルをどん!と叩いて、レストランを飛び出してしまうのだ。
 この短期で投げやりなところが自分の性格の「欠点」として確かにあるように思えるのだ。
 それで私は、それでもレストランに残してきた家族に対してどういう態度を今後取ろうかが判らずに、すなわち単純に家に帰ってしまうということではなく、後ろ髪を引かれるような感情が残っていて、いらいらしながらも、レストランの近くの住宅街のようなところの路地を右に折れ、左に折れしながら、歩き回っている。と、そのうちに道に迷ってしまう。路地の突き当りにはブロック塀があり、行き止まりかと思うのだが、よく見るとそこに梯子があって、それをよじ登るとまた路地があったりもする。方向がますます判らず、焦りが増すうちに雨が降ってきて、なんであんな風にレストランを飛び出てしまったのか、後悔がはじまり、やがて心の全部が後悔でいっぱいになる。
 そのうちにやっと路地から真ん中に中央分離帯のある大きな道に出ることができる。その道はその先でゆっくりカーヴしていて、カーヴのはじまるあたりにレストランの駐車場があった。そこに家の車がまだ停まっているのが見えた。そしてちょうどそのとき、レストランで食事を終えた家族がカーヴの先から車の方に歩いてくるのが見えたのだった。そこで私は心底ほっとした。そして妻と娘の方に駆け寄って「ごめん、ごめん」と泣くのだった。

 いま、このブログを書き始めるにあたって、上に書いた夢の話を記録しておこうと思ったほかにもう一つ、書いておこうと決めたことがあったのだが、夢の話を書いているうちにもう一つ書こうと思っていたことをすっかり忘れてしまいました。