みたいな


 朝起きたら、身体が重くてサイテーなのだが、それでも昨日中華街で買ってきた翠光園の肉まんを食べ、風邪薬を飲み、ベッドの上に起き上がってeテレ日曜美術館石田徹也の特集を見ているうちに元気になってきたから、そういえば自転車の後輪がパンクしていて、空気を入れて半日くらいはなんとなく大丈夫なのだが翌日になるとぺしゃんこになってしまうことを思い出したので、サイクルベースあさひに行く。うろ覚えの場所を目指して行ったらサイクルベースあさひが見つからないので、右往左往した挙句に、結局スマホで検索して、途中通過した交差点より北にあると思っていた店が南にあることを知り、戻って行ったら店があった。パンク修理に二時間かかるというから歩いて家に帰る。とちゅう「さぬきや」の前を通り、以前はしょっちゅうここで食事をしたものだな、と思い出しながら、久々に店に入り、一人で昼食。今日は家族はみなそれぞれの用事で出かけてしまっているのだ。
 近海もの生まぐろ丼ときのこのつけうどんのセット1150円を食べる。

 二時間半ほど経ったところで自転車修理が終わったという電話があり、こんどはカメラをぶらさげて出る。喉は相変わらず痛い。腫れている感じがする。それでも要するに体力はあるようで、引き取った自転車に乗り、海まで行ってみた。カメラ雑誌に掲載されていた楢橋朝子の近作を思い出し、近くの波を浅い深度で写真に撮ってみようと思ったりする。上の写真です。フルサイズのデジカメに40mm/2.8。Avモードで開放を選び、+1段補正をかけるが、その露出になるためにカメラはF2.8よりちょっと絞ったかもしれないな。いちいちデータを確認してないけれど。50mm/1.8で同じことをやるともっと面白いかな。
 海から帰る途中、ビーンズ工房で珈琲を飲む。300円。美味しくて安い。
 帰宅して、撮った写真を加工して、海の波なのに山のように見えるかもしれないと思って遊んでみる。下の写真がその結果です。

 これから晩御飯を食べて、それでまた風邪薬を飲みます。



 ところで、午前中に見た石田徹也の番組で、歌手の一青窈や作家の星野智幸、ロックバンドの名前を知らないボーカルとギターの方が石田について話している。聞いていると、全員が話の途中で「××みたいな」と言った。星野智幸は一回程度だったが、一青窈は何度か、ロック歌手の方は、ずっと「みたいな」で話をつないでいった。「××のような」と「××みたいな」の差はどこにあるのかな?なぜみんな「××みたいな」を使うようになったのか?これは関東だけなのか関西も同じなのか?
 はっきり言うのが怖くて、曖昧にごまかすために、オブラートで包んで自己防御する、みたいな???