間の熱


 写真は相変わらず古い写真の接写です。

 起きたら9時過ぎていてびっくりした。いつもは6時ころには自然と目が覚めるのに。テレビを付けたら日曜美術館をやっていて猪熊弦一郎の特集であと十分くらいで終わるところだった。写真家のホンマタカシが出ていて、猪熊の作品を見ながら「僕と作品のあいだに熱がある」と言った。
 鑑賞者と作品のあいだに熱が生じるということは、昨秋、鈴木理策さんが「(いい写真には)身体性がある」と言っていたことと近い気がした。

 古いデスクトップPCをネットケーブルから外しスタンドアローンにしたら、ものすごく反応が遅かったのが治った。ウインドウズXPへのウイルスバスターのサポートがもうすぐ終わるらしいので、スタンドアローンで使うことにして、マンションの北の部屋に移した。その部屋は私の本やCDがぐちゃぐちゃにある部屋です。先日、十年くらい使っていたデロンギの簡単なマイコン風のものが搭載され始めたころのらしい、タイマーやらがちょっと賢く偉そうになったころのオイルヒーターが、運転するとひどく臭くなり、これは外観塗装が耐久劣化して熱で変な成分を揮発させるようになったのか、基板のどこかの素子が壊れてどこかが高熱になり半田が匂いだしたのか、それを付けて寝ていたら、夜中に気持ち悪くなり嘔吐寸前になった。それでそいつは捨てることにした。一番寒い北の部屋にエアコンがない。そこで、捨てることにしたオイルヒーターよりもっと古い、たぶんバイメタルによる程度のサーモスタットだけが付いているシンプルな同じデロンギ社のオイルヒーターを押入れの奥の方から出してきて使ってみたらこっちは何の匂いもせずに順調に部屋を暖め始めた。
 ネットにつながった2010年に買ったPCを、その時間は家族のだれも使ってなかったからそっちで書けばよいのに、せっかく古いPCを動かして、古いオイルヒーターも出してきたから、北の部屋でこのブログの1/30と1/31の文章をワードを使って書いて、それをUSBメモリーで持ってきて、さっきアップした。

 今日の昼は実家に行く前に、平塚のレストラン「ソクラ」で季節メニューの、毎年冬の間に一回だけ食べに行く「牡蠣カレー」を食べたのだ。この店には年に一度か二度しか行かないが、そのかわり、開店したころからずーっと行きつづけている。そのあいだ、ほとんどマスターと話したことがない。話したことがないな、と思ったので、今日は思い切って話しかけてみた。「もう(開店して)長いですね。四十年くらいになりますか?」と言ってみた。さすがに四十年ってことはないとは思ったが、私が23歳くらいのときに友達と来たことがあったような気もしたから、それが正しければ34年だ。すると「いや、そんなには経っていないです。26年です」とおっしゃった。だから私の友達と23歳のころに来たというのは間違った記憶だと判明した。
 26年のあいだに子供が生まれ育ち大人になり、父は亡くなり、母はもう外食などしていない。子供が子供で、両親が健在だったころに、何度か一緒にこの店に来てカレーやハンバーグやスパゲッティを食べたものだ。一つの店い行くと、家族に流れる時間のことを思わざるを得ない。
 大きな牡蠣が六つか七つ入っていた。最初の一口目で牡蠣の味と香りが広がるが、人の味覚や嗅覚はすぐに慣れてしまい、その最初の一口のような感覚が維持できないのがいつも悔しくて、必ずじっくりと味わおうと思って、意識を集中しながら咀嚼する。

 母の部屋にサンデー毎日があって、ぺらぺらとめくってみたら俳句のコーナーで戸田菜穂が何か感想のようなことを書いていた。以前俳句のテレビ番組にもこの女優さんが出ていたのを思い出したが、そのときのなんだか恥ずかしそうな感じが私は好感を持ってながめていたことを思い出した。

Ana

Ana

音楽堂

音楽堂

北の部屋で文章を書きながら聞いていたCD