番地


 朝、最寄駅から会社に向かって歩いている途中には、数年前まで同じ一本の木に赤と白の両方の花が咲く椿があった二階建てで外階段のあるアパートがあり、そのとなりに敷地いっぱいに建てられた茶色いタイル貼りの鉄筋の個人住宅があり、仕出し弁当屋があり、そのあとが駐車場を挟んで、二階が居酒屋で一階がハンバーグ店(ペット入店OK)という店があり、その道は、緩やかに左に曲がり、その先にも歯科医院など何軒かの建物が続いた後にセブンイレブンのところでバス通りにぶつかるのだが、その個人住宅と仕出し弁当屋のあたりで、二人とも少しだけ腰が曲がった老夫婦とすれ違った。お婆さんは手にメモが書かれた小さな紙切れを持っていて、そこにはどうやら番地が書かれているらしく、その個人住宅と仕出し弁当屋のあいだにあるブロック塀のところに貼られた番地表示(たとえば)3丁目28-1というのとメモを照らし合わせて、ついに目的の番地を見つけたところのようだった。二人は、その番地の家を執念を持って探していて、一瞬の表情からの勝手な妄想によれば、なにかその番地の住人から不利益を蒙っていて、意を決してなにかを主張しに、すなわち文句を言いに来たというようにも見えた。だから、そこを探すのに執念を燃やしながらも、とうとう見つけてしまった、本当にその番地に行きついてしまった、という驚きにのけぞっているようなところもあった。
 すれ違ってから、あんな風に番地をメモをして街を歩きながらその場所を探して行き行き着くというように家を探すという「方法」を選ぶことは、いまはもうほとんどなくて、事前にあるいは歩きながらネット検索で場所を見つけて置いて、その画面またはプリントアウトした紙を頼りにそこに行くのが一般的だろうな、などと考えた。
 私自身がああいう風に番地だけを頼りに、番地の数字の変化をたどりながら、誰かの家を捜したことがあっただろうか?(2/9追記;そうだ五年か六年まえに初めて茅場町森岡書店に行ったときに、私は携帯で住所を確認しながら、地図ソフトを立ち上げずにビルの番地を見ながら場所を捜したことがあったが、その番地だけが抜けているように感じて右往左往し、店の入ったレトロなビルの前を何度も通過しながら気が付かず、数十分、いや下手したら一時間を費やしたことがあった)
 そういう思い出は出てこなかったけれど、そういう風に探していくときに自分の家からその目的地に行きつくまでの時間や光景や、五感で感じるさまざまなことがもたらすことが、そこに物語が生まれるような隙間が、いまはもうないということなんだな、と思った。
 それから1985年ころ、東京急行東横線都立大学駅で、休日出勤のあとに妻と待ち合わせたときに、私は改札口の外で待ち続け、妻はホームで待ち続け、一時間以上二人とも待ち続け、当時は携帯電話なんかもちろんなくて、結局は会えなかったことなどを思い出した。番地の話とは全然違うじゃないか、と思うかもしれないが、説明は難しいのだが、なんだか似ている気がして思い出したのだろう。
 そしてその日の都立大駅が曇っていたこととか、どうしたのだろうか?と心配になったこととか、そういうことが今でも記憶されていて、それは年を経ていくうちに、懐かしいというかこれまた何故かわからないが大事な記憶のような気がするものになっている。
 こんな風に書くと、とたんにまた、おじさんが昔を懐かしんでもう付いて行けない今の世の中に文句を言っているだけのようですかね・・・