大雪


 予報通り、朝起きたときにはすでに雪が積もり始めていた。そして、夜寝るときまでずっと雪は降り続いていた。外に出たのは、一度だけ近くのコンビニに行っただけ。あとはベランダに出て写真を撮った。マンションの回りに何か所かある駐車場でときどき子供たちの歓声が挙がる。でも本当にときどきのことで、あとは窓に吹き付ける雪と風の音ばかりだった。一日中、部屋の整理をした。何年も開けていなかった箱の中に、雑誌「写楽」がたくさんあった。途中の一冊と、なぜか最終号、その二冊だけが欠けていてあとは全部あった。しかし、何年も見なかったものをずっと持っている意味はあるのか?持っているという事実を認識していることが安心感というか満足感というかそういうことにつながっているから、持っている(とっておく)ことは大事なのだ、ということはあるだろう。なのだが、これは世の中の経済学的には不良在庫のようなものになり、ムダの典型例ということなのだろう。とか、思いながら、ぺらぺらとページをめくると、あの頃(1980年代前半)のグラビアにしても何にしても雑誌に使われている写真の解像度とか色再現とかが、そのころはそれを見て、きれいだなあとかすごいなあとか思っていたわけだが、今の基準からはとても「悪い」。テレビがハイビジョンになったのと同じように、いつのまにか印刷の技術が進んでいるってことだろう。
 部屋を片付けながら、CDを聴いた。いまではまったく見ることがなくなった、CDシングルの小さな盤が何枚か出てきた。のっこ(レベッカ解散後ののっこ)の「わすれな草」って曲とか、東京Qチャンネルというバンドの「その日は今日だった」って曲とか。前者はいざそのCDを目の前にすれば買ったことが納得できるのだが、後者はこのCDをどうして買ったのか、本当に自分が買ったのか、まるで覚えていないのだった。
 久しぶりに、はちみつぱい「センチメンタル通り」なんかも聞いた。
 棚の奥から、1980年代前半にスキーをしている家族のMの写真が出てきた。その写真の主被写体である家族のMの背景に写っているスキー客のところを接写したりして遊んだ。
 本も読み進んだ。いま読んでいるのは「穴」。