井上安治生誕百五十周年記念 絵師たちの視線 展


 今日の午前は、また、湘南モノレール西鎌倉駅から徒歩で広町の森に行った。先日に行っときより一時間くらい遅い時刻だったが、西鎌倉側の入り口すぐの湿地と言っていいのかな、平地のあたりは、取り囲む木々や山から、鶯や、名前の知らない鳥の声があちらこちらから聞こえ、じっと立っていると警戒を解いた蛙もいっせいに鳴き始める。一羽の鳥が、高い木から滑空してきて、アシなのかヨシなのかそれ以外なのか、私には名前の判らない水辺の植物にとまる。ヒヨドリくらいの大きさの明るい茶褐色、もしくはもう少しオレンジ。その鳥もきれいな大きな声で鳴く。暖かい陽射しで着てきた薄いコットンのカーディガンをすぐに脱いで、半袖のシャツ姿になる。
50mmのレンズしか持っていなかったので、それで撮った写真に小さく写った鳥をPC画面で拡大すると、どうやら目の下に少しだけ白があるような鳥だった。ホオジロかな。
 適当に歩いて行くと上り坂になり「大桐」はこっちと示す道案内の矢印に沿って行く。途中何枚も新緑の森を撮りながら進み、すると花を付けた桐の木が二本、それを見下ろせる場所に出た。狭いけど草地で、マルハナバチが飛んでいる明るい場所にはベンチもあった。西鎌倉側から大桐まで登ると、結構な森の中の湿った細い道を来た感じがあるのだが、桐は江ノ電鎌倉高校前から上がる七里ガ浜二丁目あたりの住宅地に出る広町の森で入り口のすぐそばで、すぐ向こうには住宅地の屋根が見える。住宅地に囲まれながらもよくこれだけの、一つの尾根に囲まれた谷あいが丸ごと残ったものだ。どういう経緯で開発の手が入らなかったのかな。(いや、そんなことは、一寸調べればすぐに判るとは思うけど、調べてない)
 江ノ電鎌倉高校前駅まで降りてきて、藤沢行きか鎌倉行きか、どっちでもいいから先に来たほうに乗るつもりでいたら鎌倉行きが来たから、乗る。さすがに四連休の初日だけあって、すごく混んでいるが、乗れないってほどではない。
 鎌倉駅に着いてみたら、江ノ電乗り場はすごい人で、これから江ノ電に乗る人は長蛇の列になり、ホームからずっとJRとの通路の方まで並んでいるのだった。改札を出るのにも一苦労するが、またもや寄ったカフェ・ロンディーノには空席があり、今日はポテトサラダトーストとコーヒーのセットにする。トーストとサラダを食べてから、コーヒーをゆるりと飲みつつ、家を出るときに持って出た、杉浦日向子著「YASUJI東京」を読む。漫画の文庫本です。
 というのも、このあと茅ヶ崎に戻り、茅ヶ崎市美術館で開催中の「絵師たちの視線〜井上安治生誕百五十年記念」に寄ってみる予定でいるから。
 昨年の秋だったかにテレビのNHKeテレで、ETV特集だったろうか、この杉浦日向子の本をモチーフに井上安治のことと、そこに描かれた東京が震災や空襲をくぐって何度も焦土と化してはまた復興していたということや、そういういくつかの話を編みこんだ番組を見て、そこではじめて私は井上安治のことを知って、そのあと「YASUJI東京」を読んだのだった。なので、茅ヶ崎でその展示があるのを知って楽しみにしていたのだった。
 『安治は目玉と手だけだ。思い入れがない。「意味」の介入を拒んでいるかのようだ。』とは、展覧会の図録の小川稔という方の解説文の冒頭にも転載されている杉浦の上記漫画に書かれた文章だ。目玉と手だけで思い入れがない絵(=画像)ということから考えると、それはグーグルマップ用に車のてっぺんに設置されたカメラが撮った自動撮影映像とか監視カメラの映像のような無作為(に近い)画像を思い浮かべてしまう。レンズが目で、CMOSセンサーとカメラ画像処理が手で、その画像データが表示されたモニターもしくはプリントアウトされた印刷物が絵そのもの。最近はそういう意志(思い入れ)から遠い画像データから「後から」決定的瞬間を探すような写真行為があるようだが、後からでも偶然に記録された「決定的瞬間」、すなわち初歩的に「いい」写真と感じる代表的近道にある写真を選ぶ出す作業は、砂金を探すとか化石を探すとか考古学的な行為が新しいが、提示される写真は上記の通りのベーシックな写真価値に近いという終着のものが多いかもしれない。ぜんぶ見てないけど。ただ、撮るときは無作為という前段の特徴が、いままで撮られなかった手法ゆえに、後から探す決定的瞬間にも、なにか虚無の視点のような風味があって、カメラマンが意思を持ってとらえた決定的瞬間とは微妙に違うなにかが現れるかもしれない・・・かも。
 もし「目玉と手だけで、思い入れがゼロ」なのだとすると、撮影された監視カメラかグーグルマップ映像から、乱数表で選んだフレーム番号に写った映像を提示するということになるか。きっとつまらないだろうなあ。森山大道の「写真よさようなら」を、数年前の日曜美術館の森山特集では『それまでの写真の価値をくつがえす無作為抽出や棄てられた駒を編んだ、そして、(そういう価値のくつがえしを行なってしまったがゆえに)森山はスランプに陥り写真が撮れなくなる』といったような解説をしていたと思う。何日か前に録画してあったこの番組を見直したからそう間違っていないとは思う。
 しかし、何年も経て、いま「写真よさようなら」を見ても「これはなに!?」という番組でHANAが示したような驚きはすでに覚えないのが実際で、すなわちすでに「写真よさようなら」で提示されたような写真が「ある」という受け入れ能力、ときには「かっこいい」と感じる鑑賞能力を、我々は、多かれ少なかれ、あるいは知らず知らずのうちに、あるいは望まずとも、知ってしまった。いや「知る」というような単語じゃなくてもっと受身な感じかも。
 そして、そういう目で見ると「写真よさようなら」に収録されたような写真は、それ自体が本当にそうだったかは別として、今ならば意志的に同様のものを作品として作ることが出来るように思える。すなわち無作為抽出だったはずの写真も、時間と経験を経て見方が変化すれば、表現の手法に飲み込まれ、手法になるとそのうちに「もう古い」とか言われるかもしれない。
 結局は安治の絵にしても、思いいれがゼロ、ということは実際にはありえない。まるで思い入れがないような、であれば、それはおおいにあるだろう。そして、思い入れがないような表現がどうして現れたのか。図録の解説によるとこれらの絵を描いたときの安治はまだハイティーンの若さで、自我の目覚めもなく、その結果なのだというように書かれているようだ。あるいは、自我の目覚めというより大人の縛り、ここの風景はこれをこう強調すれば経済的価値が生まれたり、自分の立場が安泰だったり、といったしがらみ、そういうしがらみを知らないという結果なのだとも書いてあったかな。ま、そういうしがらみが生じることも「自我の目覚め」の一つだろう。斜め読みしかしてないけど。
 しかし、では、そういう「しがらみ」がまだ生じてない段階の少年に、だから「思い入れ」がない、というのは違う。「大人の事情を配慮する変な気配りがない」なら正しいだろうけれど。同じようなレイアウトの絵でも、安治の先生にあたる清親の絵にある、稲妻や入道雲や走る人や振り返る人は、フラットでアンチクライマックスな凡庸な空や、歩く人や立っているだけの人になる。さすがに競馬の馬は走っているけれど。これは十分に意識的な変更ではないか。思い入れをもって変更している。
 資料や情報を調べてないからこんなことを結論として表明はできないが、展示を見ただけからの印象だが、安治はなにかに目覚めてないからではなく、持って生まれた価値感として、そういう写真で言えば「決定的瞬間」のようなクライマックスを「避ける」ような思い入れがあったのではないか。「避ける」が不適当なら「隠す」。隠してはいるけどどこかにその気配を覗かせる「チラ見せ」があれば「粋」かもしれないが。もしかしたらその「チラ見せ」は自分の作品内ではなく、石庭の借景のように師の作品だったのではないか。などと考えてしまった。
 写真で言えば、最初にニューカラー風の、アンチクライマックスの作品を生み出したのが、エグルストンなのか、ショアなのか、メイエロウィッツ、なのか詳しくはわからないけど、ある時代がなにかの流れを生み出し、それを感じた何人かの写真家が同時多発的にそういう志向になったのかもしれない。
 そう考えると、井上安治は、百年後の潮流を一人、いち早く表現した稀有な存在だったのではないか、というか、そんな風に考えて絵を見ると楽しめる。
 杉浦は『安治の網膜に映った風景。たしかにこれは絵ではない。まして写真でもない。』と書いているが、杉浦日向子がここで定義する「写真」とは決定的瞬間を是とするような写真価値なのではないかな。むしろ、ここに私が書いたような、監視カメラやグーグルカメラが撮った「写真」から考えたり、ニューカラーの「写真」から考えたりしていくと、安治の絵にもう少し肉薄できる可能性があるように思える。
 私は茅ヶ崎市美術館で井上安治のたくさんの作品を見て、写真集をめくっているようだと感じ、それはエグルストンではなくむしろショアのようだと感じ、ずっと見ているうちに感動してしまって、実際には泣かなかったけど、もしかして私はこれから泣くかもしれない、というようにも思った。もし井上安治がもっと後に生まれていたら、彼は筆ではなくカメラを選んだと考えるのは、間違っているのか?

http://www.chigasaki-museum.jp/exhi/2014-0427-0608tenrankai/

YASUJI東京 (ちくま文庫)

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