朝の喫茶店で


 金曜日の朝、都内某所で仕事が始まるまでにずいぶん時間に余裕があったので、乗り換え駅で外に出て、私鉄のガード下に連なるような小さな飲食店街や、それと平行にあるアーケード街を真っ直ぐに歩いてみる。途中にはチェーンのコーヒー店が、すなわちドトールコーヒーとか、プロントもあったかな、イタトマももう開いていて、それぞれ朝食を食べることが出来るのだが、それらをやり過ごして行くと、やがてアーケードの屋根が途切れる。先にも店は続いているが、アーケード仲間から外れたように、少し裏寂れた感じが増すのは、店舗の様子も随分と古めかしいように見えてきたからかもしれない。あるいはアーケード街には上記のようなカフェチェーンのほかにはさまざまな、本屋、洋服屋電気屋、カバン屋、八百屋、質屋、などがあり、朝のその時間にはまだ店も開いてないとはいえ、駅の方からおおぜいの女子高生が通学のために歩いているし、会社員のひとたちも早足で行きかい、明るく思えるのだが、その屋根が途切れるところに行き着くまえに、学生達の辿る道は折れてしまうらしく、また会社員の数も減り、そのあたりは寝坊をしているようだ。打ち水のあとだけがあり、太った猫が眠っていて、店先に出された鉢植えのつつじの花はもう終わりかけ、そういう感じ。実際にそうだったとは言わないが。
 その先に、昔よく見た、どこかの輸入珈琲豆の大手が配ったのだろう、電飾看板が店の前にもう出されていて、もちろん朝だから電気は付いていないが、大きな黒い一文字で漢字の店名が書かれ、その周りを赤い枠が囲ってある。神社のお札のような縦長のボール紙にマジックインクで書かれた料理の名前の値段の情報が、それをサランラップなのか、雨避けの目的でだろう透明なシートでくるんで、たぶん見えない裏側でセロハンテープで止めてあるのか、そこかしこに貼ってあったり置いてある。その情報を見ていると、もうにじんで消えそうな字で、モーニングセット500円というのを見つけた。
 ハムエッグ、トースト、生野菜、珈琲、とそのセットの内容も併記されている。そこで入ってみたくなるが、ドア一枚分の開け放たれた入り口からそっと中をのぞいても、上側がアーチ状に丸くなった縦長の窓から中を透かして様子をうかがっても、誰一人客はいないようで、あまりの佇まいの古さと寂れたような印象に逡巡するのだが、五月の朝日はすでに街のあちらこちらに濃い影を、妙にさわやかに、というのは温度と湿度が心地良い条件なのだろう、作り出してて、暗い印象はなく、休日の化粧前の寝起きの顔のように、腫れぼったいがぽかんとしている。そこで一旦店の前を離れたものの数メートルで引き返し意を決して入ってみると、そんな私の様子を店内から見ていたのか、店に入った瞬間にいらっしゃいとだみ声の声が掛かり、見ると、もう八十歳を越えているように思える腰のまがったおばあちゃんが小さなカウンターの前に立っていた。このおばあちゃんが店をやっているのだろうか、まさかね、ほかに息子さんか娘さんが一人くらいは厨房係でいるんだろうと平均的な予想をする。しかし、どうやら店にはおばあちゃんしかいない。四人席の時間をへた合成板の角アールのついた低めのテーブル席が六つか七つ、それとカウンターが三席くらいか。どちらかと言えばやや小さめの喫茶店には新しい液晶テレビが設置されていてNHKのニュースが映っている。そのなかのどの席にすわるべきかを見回しては決めながら、同時に「モーニング」と頼むと、おばあちゃんから「珈琲ね?」という返事が来たので、再度より大きな声で「モーニングをお願いします」と言うと、「ああ、モーニングね」と答えたから安心した。
 あとで調べてみたら昭和31年から営業している店らしかった。
 厨房に入ったおばあちゃんは、ゆっくりとだけど既に身にしみこんだ動きなのだろう、無駄なく(なのだろう)料理を始める。トースターの蓋を開け、パンを入れて、蓋を閉じ、それを動かし始めたことが音から判る。ガス台の火をつけたこともわかる。それで順調に料理が始まったから私はNHKでA首相の暴挙かもしれない政治の動きのニュースを見ながら、子供の世代を憂うのだった。
 数分して厨房からカウンター越しにおばあちゃんが
「ごめんなさいね、まだハムが届いてないから、ハムなしね」
と言うので、おばあちゃんの方を向いて「わかりました、いいですよ」と答える。ニュースは取材されたコーナーになり、テーマは生活に必要最小限の収入を得るだけで仕事量を抑えた、カタカナのなんとか言う言葉で、例えば××ライフとか言ってたっけかな、そういう暮らしをしている人を紹介している。大磯で接骨院をしている方が港の荷揚げを手伝って、その報酬にお金でなく魚をもらい、その魚を持って今度は家で野菜を作っているひとのところで物々交換をしているそういう暮らしが紹介される。
 どうやらモーニングセットが出来上がった。こちらから見るとずいぶんとトーストの色が濃い。若干焼きすぎなのではないかな、と感じる。腰の曲がったおばあちゃんはあめ色の木製合板のこれも良く見るようなお盆に珈琲とモーニングの食べもものが一皿に載った皿を載せて、厨房からゆっくりと出てくると、それをどっこらしょという感じで両手でしっかり持ち上げてこちらに来る。もっと厨房よりの席にすればおばあちゃんの歩く長さが数メートル短くて済んだので申し訳ないような気持ちになる。
 料理を持ったおばあちゃんはこちらに接近しながら(なにしろ時間がかかるから「接近」という単語が出てしまうのだ)途中で、「トーストが少し焼けすぎたけど私はこのくらいが好きなのよ。これでいい?」といったことを言った。別段不満はないので「いいですよ」と答えるころに料理がテーブルに置かれた。そしておばあちゃんはしばしそこに立ったままで以下の二点を話した。曰く
「朝は電気がまだ強いから(同じ時間設定でも)トーストを焼きすぎてしまう」
「夏休みで人通りが少なくて淋しい」
えっ?夏休み?GWは終わったし、どういうことかな?と思ったが、おばあちゃんはもう二回くらい、いつもはもっと人通りがあるのにねえ、夏休みだからねエ、と言うのだった。
 目玉焼きは、焼いている後半で黄身の半球部分に穴が開いたからなのか、しぼんでいる。生野菜は、生野菜ではなく茹でキャベツを冷したもののようだ。トーストは若干焼きすぎだが美味しい。
「珈琲は入れたばかりだから美味しいと思いますよ」
と言って、おばあちゃんはカウンターへと戻って行った。
 というわけで、朝からびっくりぎょうてんの金曜日になったのである。