横浜トリエンナーレ


 横浜トリエンナーレに行ってみる。主会場は横浜美術館と新港ピアの二会場で、同じ日に両方見なくても構わないので(それぞれの会場へ入場するさいにチケットに日付印を押されるので、同じ会場に一枚のチケットで何回も入ることはかなわない)今日は横浜美術館だけにする。三年にいちど開催されるこのイベントは、今回は「華氏451の芸術;世界の中心には忘却の海がある」というテーマ設定で、アーティスティック・ディレクターに美術家の森村泰昌華氏451とはもちろんのこと、ブラッドベリの小説に由来している。焚書の小説。
 さて展示の感想は後日に書くかもしれない。とくに美術館の前の広場に置かれた、錆びた鉄でできた低床トレーラーにはすっかり魅了されてしまった。なのだが、今日のブログには、夜七時から屋外広場で行われた写真家トヨダヒトシによるスライドショー作品「ゾウノシッポ」について書き留めておくことにする。
 パンフレットによれば『写真家トヨダヒトシは、プリントでも写真集でもなく、スライドショーだけで作品の発表を続けています』とのことで『トヨダからの贈り物のように「映されては消えていくイメージ」は、鑑賞者の脳裏によみがえる記憶と交感され、本展第8話のテーマ「漂流を招き入れる旅、漂流を映しこむ海」にふさわしい、新たな作品体験を紡いでいくことでしょう。』とあった。(ここで「本展」とは横浜トリエンナーレ2014のことであり、第8話とは、この展覧会がいくつかの章で構成されているうちの第8番目のテーマを挙げているということ)
 スライドショーは気持ちの良い気温と気持ちの良い夜風の中はじまる。遠くの空にときどき遠雷が光る。あとでわかったがこの時間、湘南地方は大雨が降っていたそうだ。ときどき文章が投影されながらあとは無音のなか(いや、実際には回りで虫が鳴き、遠くでサイレンが聞こえ、ときどきは人の大声がこれも遠くからかすかに聞こえる)写真が切り替わる。写真の切り替わりは一定時間ごとに変わるように仕掛けられてはいない。作家本人なのか作家からそれを託されたひとなのか、大きなプロジェクターそ操作している人がその人の感覚で切り替えている・・・ように思える。ときどきピントを調整される。そのときにふっと像がぼけてまたくっきりと像が結ぶのも、それも作品の一部の仕掛けのように思える。ときどきはさまる文章によって、199×年にNYの片隅に住んでいる作者が日々に記録した写真が流れていること、同居人の女性がいて、やがて猫がやってきて、女性が去り、暴漢に会ったこと。猫が亡くなること。そういう大きな時間のなかでの「出来事」と、写される、まどの雨粒やサンドイッチの皿に来た虫や、些細な目の前のことが流れていく。窓からの風景も定点観測のように続く。自動車修理工場は四季を経ていくなかであるとき閉店して、更地になり、あとに無機質な倉庫のような平屋の建物ができる。猫がいて女性がいて、両方が消える・・・まるで村上春樹の小説のようではないか。
主人公(=写真家トヨダさん)に数年の中で起きる大きな変化と、日々の暮らしで視覚がとらえる些細なこと。それがたまに挿入される文章を道標にして鑑賞者に「提示」される。さりげなく、作為なく、であるようにみせかけながら、実際は(それなりなのかきわめてなのかはさておき)作為的にだろう。当然「作為」がなければ「作品」ではない(作為を排除する作為に基づく作品なんてのも作為だし)。
 そして、トヨダさん自身のそれらの日々は、なにしろ「女性が去り猫が死に暴漢に襲われる」わけだから、苦しかったり悲しかったり、理不尽に対して憤怒したり、そういう日々であって、それはすなわち誰もがたぶんそうである、そのような日々であるから、このスライドショーを見る鑑賞者がなにを感じるべきかを理屈から考えて行くと予断を許さない剣呑とした日々に「溜息する」ようであるべきに思われる。しかし、そこでなにか飲みもおを飲んだりしながら、うっとりと夜風に吹かれ、写真を眺めている鑑賞者にはそういう気持ちは起きずに、むしろ「素敵」とか「かっこいい」とかいう感じとか、私もニューヨークに行きたい、と感じたりしているのだと思う。そして、もしかしたら、作家もそれを前提としたり、あるいは作家自身もその瞬間瞬間にあった痛みを乗り越えてしまって「素敵」とか「かっこよさ」を操作し提供している自覚があるのではないか。
 これってどういう作用の結果なのか?と考えると、結局は、現在でなく過去のことであり、すでに記憶という領域のことであり、今が安泰だから過去の剣呑が「思い出」に変わる、というようなことなのだろう。そしてそういう記憶の変容がもたらす力があるから、われわれは今を生きられる、と言えば(なんだかおおげさで適当に話をまとめた感はあるにしても)その通りじゃないか。
 だから私は、夜風に吹かれて気持ちよく、それらの「かっこいい」写真を眺めて、休日をゆったりと過ごした。スライドショーのあとに作家本人のトークショーがあったようなのだがそこまで聞くことが出来なかったので残念だった。ここに描いたような「推測」をくつがえす話が聞けたかもしれないのに。
 この作家のスライドショーは今後も何回かあるようです。
http://www.yokohamatriennale.jp/archive/2014/artist/t/artist452/