知らない街だけど知っている街


 頻繁に利用する路線で、ときどきはグリーン車二階、進行方向に向かって左側窓側座席に座って写真を撮る。気が付くともう七年か八年かのあいだ、今はひと月に一度かふた月に一度くらいの感じで続いている。グリーン代金は写真を撮るための席の確保代金とも言える。始めたころはもっと高い頻度で車窓風景を撮っていた。するとその移動している数十キロメートルのあいだで、この駅の手前にはなんだか古い給水塔みたいなものがある、とか、この駅に入っていくときには線路が分岐に分岐を重ねて広く広がっているのにあまり使われていないでだから線路のあいだの雑草がちょっとした風景を作っているぞ、とか、この駅に停まるとグリーン車の位置からはちょうどパチンコ屋の入り口に人が出入りしていくのが見えるぞ、等々、車窓風景を覚えていく。それでそれが続いて行くとそのうちに定番被写体が出来てきて、その定番被写体が変化すると、残念だなあ、と思うわけだが、そういうことが積み重なると、もっと重層的な感じの時の流れを感じたりもするのだった。降りたこともないから知らない街だけど車窓からずっと見続けた知っている街のことである。
 このブログはあえて、古い記述をすぐに読めるようなカレンダーとかを表示していないので、古い記述を読もうとするとURLの日付のところに適当に古い日を入れてみる(その日に日記が書いてあれば現れるが書かなかった日だとすると現れない)とか、ひたすら前の日をクリックして遡るしかない。すなわち感覚的には古くなればなるほど積み重なった紙の下の方に埋もれてしまっていく。さっき適当にURLを入れて久々に四年前のこの日記を読んでみたら掲載した写真はその三分の二くらいは忘れてしまっていて、でも自分の撮る写真に大した変化は起きていないで「相変わらず」同じようなことを繰り返しているんだなあと思ったりした。こんなのはそのときの気分で、「すごく変わった」と思うこともあるかもしれないが。
 書いてあることも、覚えていたり、忘れていたりなのだが、総じていまよりたくさん歩き回っている気がする。そしてなによりおかしいのは自分で書いた文章なのに自分でそれを読んでいて「読者」としてけっこう面白いってことで、これはノー天気な性格のせいかもしれないな。
 なんか車窓風景のはなしと日記のはなしが重層的ってところで似ている感じがしたのでこうして書いてみたが、よくわからない(文章でその似ているところを理屈だって説明できない、もしくは説明するのが面倒)。
 この下の東大宮一番街などは、数年前まではいい風情の夕方の「灯り」と人々の「ぬくもり」のようなことが醸し出す夕暮れどきを作っていた気がする。浅田美代子のなんとか言う歌で夕暮れ時のありきたりな日常をスナップしたような歌詞の歌謡曲がありましたが、そんな感じで。幸せの一番星、とかそんな題名だったっけかな。だけどだんだんそういう親しめる感じが消えてきて、だんだん殺伐というのかなそうなって、こうして工事が始まると、いったん街は寂しくなりますね。生まれ変わった街はどうなるのだろうか?新しい街は何も浸みてないから、それでも暖かさを演出するにはやたらと人口光で照らさなければならないかもしれない。
 でも上の写真のように比較的新しそうな駅前自転車置き場には、数年どころか数十年前と同じく高校生が集まってなにやら家に帰る前の時間をおしゃべりをして過ごしている。すると一瞬に通り過ぎる光景であっても、いや、一瞬に通り過ぎる光景だからこそなのか、懐かしくほっとする。私が高校生のときに英語のT先生が「ベトナム戦争が終わった」と言ったことや、でもそれにあまり関心がなくって、帰りに友人のK君と自転車を並べて漕ぎながら、写真のはなしをしていたことなども思い出す。
 こんなおセンチな感じも秋だからでしょうか。

 幸せの一番星、作詞は安井かずみ でした。
夕焼けこ焼けで 家に帰る路 小石をそっとける 明日も晴れる 夕空背のびして 赤い屋根の上 一番星ほら 見つけたばかり ルルルルル 心に光るあの人の笑顔 明日もきっと元気でいると 胸をたたいた