ジーンズを買った日


 昨日、11日の土曜日の午後には家族のMと上野の森美術館に行き、北斎展を見て来たのだが、ずいぶん混んでいて入場規制もしていた。入場前に15分か20分くらい待たされた。そんなわけだから館内に入ってもゆっくりと作品を見ることは難しくて、早々に退散することになった。それでも富嶽三十六景の部屋だけは最前列で見るために自然発生している列に並んだ。なんでも鑑賞するときに写真を軸に考えてしまうのだが、有名な「神奈川沖波裏」とか「凱風快晴」(赤富士)というのはともに写真で言えば決定的な自然現象の脅威や奇跡の風景ということになる。ほかにも強風でいろんなものが飛ばされていく瞬間を描いた「駿州江尻」などもその部類だろう。ところが一方では、広角レンズ横位置で撮られたコンポラ写真のような構図の「五百らかん寺さざゐどう」、ニューカラー派のような広く明るい風景がとらえられた「青山圓座枩」、思い切った余白をとって風景を省略した「武州玉川」、フラットで平面的な構図の「東海道程ケ谷」など、シリーズのなかに様々な視座に基づく多種多様な構図が響き合っているようで、その全体構成にすっかり感動してしまった。なんだ、写真の歴史なんかを凝縮したように、はるか以前に北斎がすでに絵画として、構図の取り方の多様性を提示しつくしているじゃないか、とさえ思ってしまった。(各作品はウィキペディアで「富嶽三十六景」と入力すればすぐに見られます)
 それから、ジョエル・マイヤーウィッツのセントルイス&ザ・アーチの写真集を思い出した。

 上記の土曜日に私は通販で買ったブルージーンズを穿いていた。カタログでモデルの男性が穿いている写真で見たときの印象と違って、私が穿くとそのジーンズはだぼだぼと太すぎて、着心地は最高なのだが似合っていないようなのだった。そこで日曜日に辻堂にある湘南モールにあるとある店にジーンズを買いに行ってきた。十年かそこいら前までは、ジーンズと言えばリーヴァイスのスリムと決めていたのだが、そんなこだわりは消えてしまった。

 午後、鎌倉に行った。数年前まで質店だった建物を使って本田忠敬という方の写真展「クブレ通りの古い家」を開催しているのを見に行ってきた。藤沢の写真展でDMをもらって知ったもの。モノクロの端正なプリントだ。
 その写真展のあとに駅の方に歩いて行くと「ウサギノフクシュウ」という奇妙な名前の古書店が出来ていることを発見。細い階段を上がってその店に立ち寄る。書棚に並んだ本は、ふむふむ、ブローティガンがありボルヘスがあり、堀江敏幸があり小島信夫があり、井伏鱒二があり長嶋有・・・はあったかな?、まあなんか親しみを感じるセレクトだった。平積みのテーブルにはリトルプレスの本が並べてあった。ロアブックスの西尾勝彦詩集「耳の人」を購入する。

 さらに夕方には横浜でトヨダヒトシスライドショー「白い月」を見る。このひと月くらいのあいだにトヨダさんのスライドショーを五回も見た。庭やプランター、近所のビルの壁の一部、そんな場所で展開する昆虫や植物や鳥の生き死に。小さな場所で繰り広げられる自然が大きな宇宙を思わせる。そういう中で人間がこの地球で起こしているさまざまな営み(事故や事件を含む営み。ときに新聞の接写で示される)とは何なのか。稚拙でもあり懸命でもあり、滑稽でもあり愛おしい。最初に見た「ゾウノシッポ」の感想をこのブログに書いたときには『すでに過去だからなにごとも懐かしい。本当は悲惨だったりすることもなぜかカッコいい』といった感想を書いたが、五回見て、自分の見方も変化していて、そんな表面的なことよりも、ときには無常観も漂うかもしれない人の営みが、自分自身に跳ね返ってくる。

 上の写真は11日に上野にて。下の写真は鎌倉駅前。