トヨダヒトシNAZUNAを見に行く

18日、土曜日。少し喉が痛い。昨晩、早川文庫の「都市と都市」を深夜の2時頃まで読んでいたので、いつもよりずっと遅く起きたとはいえ、それでも頭が寝不足でぼおっとしている。風呂に湯を張り朝風呂につかる。「都市と都市」は、深夜まで読み続けて、読み終わったのだが、またもや何か肝心なところ、張り巡らされた伏線が最後に理屈が通るように構成されたいくつかを、わからないままに読み終えた気分が残る。
今朝の朝刊の土曜別刷りで、1981年だかに作られた日本映画「の・ようなもの」のことが取り上げられている。この映画は80年代にVHSにテレビから録画して、何度も見た。コメディであると同時に胸キュンの青春映画で。主人公の若手の落語家しん魚(しんとと)が、深夜の下町をずっと歩いて家に向かう場面はいまでも忘れられない。茅ヶ崎出身の森田監督のデビュー作(自主制作を除いて)でかつ最高傑作。というのか、小説家やミュージシャンにもよくある、デビュー作品だけが持っている、キラキラしたなにかを見事に纏っていた。森田監督は亡くなったが、来年には、の・ようなもの、の出演者もこぞって出演する、「の・ようなもの、のようなもの」という映画が封切られるそうです。

昼頃に茅ヶ崎駅辺りに出る。出たけれど、撮り終わったフイルムを現像に出す以外には特に目的もない。電車の時間をみたら、上りは15分くらい待たないと来ないので、ふと思い付いていた鎌倉散歩もやめにして、そのまま駅を北口から南口へ越えて、スナップしながら歩く。5月か6月以来、海に行ってないな。露出を極端にオーバーにしたサーファー写真を撮ったりしたけど、そのあと夏になって、砂浜にカメラを持って行くと、それだけで水着姿の女性のの盗み撮りに来ていると勘違いされるので、夏は海に行かないのだ。李下に冠を正さず。
そこでもう秋だし、たまには海に行ってみようかな。と、南へ歩く。途中、茅ヶ崎市民球場に寄ってみる。少年野球チームの試合がはじまったところ。横から見てると球速が遅く見えて、乱打戦になりそうに思えたが、バッターの後ろから眺めると、今度はずいぶん速く見えるのだった。片方のチームは私の住んでいるのと同じ町名にイーグルスとかなんとかをくっつけたチーム名だったので、なんとなく応援したくなる。そうして応援するチームを見ると、対戦相手よりも小柄な選手が多い気がする。ピッチャーの急速も遅い気がする。相手は五年生くらいが主力なのに、こっちは四年生中心でサードなんか三年生に見えるのだった。こんなのは応援するチームを決めてしまった途端に、なんだかこっちが不利なように感じるところが発生したのか。これは私の性格か原因で、違う性格だとこっちが有利なところばかりが見えるのかもしれない。二回の攻撃まで見ていた。結局、両チームともに一本のヒットも出ず、予想に反して投手戦の様相なのだった。
球場から国道を越えればすぐに海。空気が澄んでいて遠くまで見渡せる。茅ヶ崎第一中学下のヘッドランドビーチと呼ばれる辺りには大勢の子供がサッカーの練習をしていた。

夜の7時から横浜の開港記念館で、横浜トリエンナーレ連動の企画、トヨダヒトシのスライドショー投影を見る。今日で6回目の鑑賞。今日の作品のNAZUNAは、500枚以上の枚数からなる。上映は7時から9時過ぎまで。しかしいつものように全く飽きないで、見ていられる。これで毎週のように見てきたトヨダヒトシさんのスライドショーに通うのもおしまい。今日は投影されたトヨダヒトシさんの写真を撮っても構わないと最初に説明があった。持っていたカメラはシャッター音の大きなキヤノンF1にFD35mmF2だった。なので、いいと言われても、そう何枚も撮らない、というか、撮れない。

自給自足で檀家を持たずに修行をするという兵庫県の、多分、日本海側ににちかい山奥の寺があると知ったトヨダさんは、その寺に行って写真を撮る。いや、取材のように写真を撮りに行くのではなく、自分の興味のままそこを訪ねて、しばらく一緒に暮らしながら写真も撮った、ということか。日記のように写真がある。
冬の最中にそこから都内に帰ったトヨダさんに、やがて(その冬の内に
)寺の住職の訃報が届く。雪に埋もれた山道のカーヴで、車両ごと転落したのだ。春になり、トヨダさんは再び寺を訪ねて行く。住職が亡くなっても、残された修行僧達で、写真で眺める限りは同じような自給自足と修行の日々が繰り返されている。ある夜、修行僧と飼われている二頭の犬とトヨダさんは近くの山に咲いた桜の下で花見をした。夜になる。焚き火から火の粉が舞う。スローシャッターで火の粉が不安定な、ひょろひょろした軌跡を描いて写る。火の粉の写真が何枚か続く。そのうちの一枚には焚き火に照らされた修行僧の顔も写っている。何か遠い世界のことを考えているように。
この写真が一番印象に残った。しかしそのときにすぐに反応してスクリーンを撮れるものでもない。そのあとの数百枚も見たあとに、強く記憶に残っていた、ということだ。
カーヴで亡くなった住職のことは、これは実話だから小説を軽々と引き合いに出してよいのかな?とも思うが、羊をめぐる冒険、に出てくる不吉なカーヴを思い出す。花見の焚き火は、小説のタイトルは忘れてしまったが、神の子供たちは皆踊る、に収録されている砂浜の焚き火の小説を思い出す。トヨダヒトシのスライドショーを見ているとしきりに村上春樹の小説を思い浮かべる。
投影された写真はトヨダヒトシの日々の記録てはあるが、選択され並び順も検討され、作品として成立した。その時点でこれは私小説のように作品となったフィクションだろう。



写真はトヨダヒトシNAZUNAのスライド投影画面より