火星の庭


 
ちょっと前に雑誌ブルータスで古書店の特集が組まれたその号で紹介されていた「火星の庭」と言う店に行ってみた。店の名前の由来はあるのかな?七年前に来たときにはあった横丁の路地に、同じ名前のバーがあったような気もする。
気になったので調べてみたが、ブックカフェ火星の庭の2005年のblogに書かれている名前の由来には、この名前を「過去のなにかから取った」訳ではなく、店主の方がとある物語を考え出して、その物語のタイトルのような「火星の庭」と言うのを店名にしたとのことだった。確かに検索エンジンでその言葉を検索しても、仙台のブックカフェ以外の火星の庭なんて、出てこない。
もうちょっと調べてみたら、仙台の横丁に「火星」と言う名前のバーがあった(あるいは、今もあるのか?)ことがわかった。七年前に来たときに、赤いドアの、その時点で既に店仕舞いしてしまっているらしい店を写真に撮ったが、あそこが「火星」だったのかもしれない。
同じ仙台に二つの火星があった(ある)と言うのも面白いが、私自身に関する縁としては前の日のblogに書いた通りの天文台の話もあり、何やら仙台と天体が繋がっている。
ちなみに「火星」と言えばブラッドベリの「火星年代記」をすぐに思い出す。
その「火星の庭」と言う店では、三冊の本を買った。「宇宙船とカヌー」は新刊本で、まだ一ページも読んでいないからなにも言えない。70年代後半に、今は倒産してしまったすばる書房が出していた月刊ポエム。その月刊誌の川端康成特集号も買った。この号には、弱冠二十歳だった私が投稿した、銀玉ピストルを星に向かって撃とうとする男が出てくる短い話が掲載されている。久し振りに読んでみたら、ひとりよがりで辻褄の合わない話で唖然とした。選者の童話作家の立原えりかさんもよくまぁこんなのを選んでくださったものだ。それはさておき、この投稿作品のタイトルは「星を撃つ男」と言うのだ。新刊で買った本には宇宙船が出てくるし、投稿作品のタイトルには星が出てくるしで相変わらずの天文繋がりの仙台なのだ。
さて、もう一冊購入したのは、雑誌ユリイカの1980年くらいに出た写真の特集号で、帰宅してよく見たら、頭の20頁くらいがきれいに切り取られて欠落していた。すぐにはわからないくらいきれいに。読みたかった写真の特集ページは欠落していないようだったから、まぁいいや。でも付いていた価格は欠落前提だったのか、店の人も欠落を見落として値付けをしてあったのか、よくわからない。
火星の庭は、並んでいる本を全ての棚でじっくりと見ていきたくなる。この棚は自分の興味とはかけ離れている、と言うことがあまりなくて、そこここに興味を惹く本が見つかった。本屋の棚作りの成果なのか、その理由はわからないが、魅力的な空間だった。

土曜の夜、仙台光のペイジェントを歩いたあとには、ジャズ喫茶カウントに行ってみた。仙台に来る度に立ち寄る。アルテックのでかいスピーカーから大音量で、コルトレーンの63年のマイ・フェイバリッド・シングズのライブ演奏が流れている。凄い迫力。iPodのイヤホンで音漏れしないような音量で、あるいは部屋にある小さなCDラジオでBGMとして聴くときも、同じアルバムでもこうは聴こえない。やっぱり大音量と低音のビーとがもたらす高揚感や疾走感をたまにはちゃんと味わうべきなのだ。