カミハテ商店


 月曜日だから九日の夜、レンタルDVDで借りてきた邦画「カミハテ商店」を観た。
 よーく見ないと気づかない場面があって、DVDだから静止画にしてチェックしたりもできるけれども、映画館ではほとんど判らないだろう、というような伏線の映像による仕込みがあったとしても、それに気付かないでも全体を見せるという作者(監督)の意図には反していない、というか、影響がないという作者(監督)の判断があって作品が出来ているわけだから、その範囲でみてもたしかに心がざわつく話ではあった。
 以下、ネタバレあります。

この商店の間取りはガラガラと玄関の引き戸を開けると、入った左手にコッペパンの売られる棚がありそれに隣り合って入口から奥に、小さな冷蔵庫に壜の牛乳が入れてある。コッペパンの棚と冷蔵庫を境にして、入口からみてその境の左側は店主がパンを作るエリアでお客さんはそこには入らない。入口に立つと、左に上記の棚や冷蔵庫、右にはそのほかのこまごまとした商品が置かれている。そして正面に簡単な店舗エリアから畳敷きの住居の部屋に入る、仕切りの意味の暖簾のかかった入口があり、そこで靴を脱いで部屋に上がると、女優の高橋恵子が演じる主人公が昼間過ごしている炬燵のある(ほんの数日前に見たというのに本当にそこに炬燵があったかはっきりとは覚えていない(情けない)が、客が来て寝転がった状態から起きたところは炬燵に入っていたように思う)部屋で、その部屋はさらに右側にもう一間、襖を隔ててつながっている。この奥の部屋には、店舗入り口側に向かって壁を背に仏壇があるが、奥の間に立って、炬燵の部屋の方を向くと、襖の上に粗末なつくりの棚があって、店主が崖から持って帰った自殺者の穿いていた靴が、数十足置かれているのが映る場面がある。これは店主が外に出ていて不在のときに町役場の男が見付ける。町役場はその崖が「自殺の名所」となっているということを本当の実態までは把握しきれていないのではないか。もしかしたら自殺の名所らしくそこから飛び降りた人は「上がらない」海流になっていて、だからそれだけ大勢の人がそこで死を選んだ、ということはその靴の数を見て初めて知ったのではないだろうか。でなければ、これほど無策に自殺の場所を放置しないだろう、などと理屈で考えるのはあまりいいことではないかもしれない。でも、映画は小説やその他の表現の中で、際立って具体的物語を辿るという側面が強いと思うから、そういう理屈での理解をするしかない。
 画面を一時停止して、静止画で見極めないと気付かないのではないか、と思ったのは、その靴が、その後の場面ではすっかりなくなっている点(私の間取りの理解が間違っていなければ、なのだが)。だとすると、役所の職員が靴を見掛けるのと、主人公が崖に行くのとが、同じ日のように思われるが、途中で何日かが経過している。そのあいだになにがあったのかはなにも語られないが、店主の意思か、町役場の指導かで、靴が廃棄されたわけだ。
 最後に、店主の弟が付き合っているシングルマザーがバスに乗ってやってくるのは、店主の弟が上終(かみはて)で父が自殺したことを話したからその場所を知って自らも命を断とうと決めてやってきた、という解釈を私は促されたが、そうでないかもしれない。物語を確定させる要素が少ないから(上の靴の場面も見落とす方がふつうだろう)、そうでない解釈がたくさんありそうで心もとないのだが。
 それを迎える店主は、店の中で寝ていてガラガラと扉があいてから初めて自殺志願者と対面するという「従来の姿勢」を脱していて、自ら店の外へと歩み出す。映画はその主人公の、崇高なように見える、笑みさえあるように見える表情を映して終わるが、これは女優の力量が現れる真骨頂の場面だろう。
 靴を廃棄し、自ら自殺志願者と対峙するように店から外に出て迎えるというラストは、主人公のなにかの決心を垣間見せる。
 などとストーリーをつらつらと書いてしまったが、そうでもしないとどういう映画だったかすぐには判りにくい。本を読んで、ページを戻って、なにかを確認して、そうか!と思ったりする鑑賞の面白さを映画でやるのは難しい。
 牛乳配達の男の子のことや、たまたま閉店していたときにやってきた女の子が拍子抜けして自殺を思いとどまった、そういうことが主人公の心にどう作用していったのかもラストから逆算して考えると、腑に落ちるかもしれない。
 ところで、われわれの現実はもっと不可解で気紛れで説明のつかない、理屈が通らない物事が日々頻繁に起きているんだろう。

カミハテ商店 [DVD]

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