都市のありよう


『ようするに大人たち、つまりヒト社会の常識は、(人間は独りでは生きていけない)ものであると子らに諭しているのではなくて、(独りでは生きるな)と命令し、強制していた。こうした感性は〈田舎〉、すなわち〈自然〉と結びついたところから発生したものだろう。仲間が少なくなれば群れの存続も危うくなるから、個人は勝手に死ぬことすら許されない。それが、田舎という自然の掟だ。
だが、都市での暮らしは違う。単独ではひ弱な、毛のない猿にすぎないヒトは、さまざまなものを創り出して劣った能力を補ってきたが、その最高傑作が、〈都市〉だ。それは田舎の延長である〈都会〉という概念とは異なる、ヒトがこの世に生み出してきた無数の人工物のなかの、最大にして、もっとも強力な〈機械〉のことだ。千三百万の人間を、各々〈独り〉で生かすことができる能力を持っている、マシン。都市とは、総合的人工環境システムを実現している、巨大機械だ。そのような機械が、動物であるヒトの常識=〈独りでは生きられない〉に対抗できる力を〈個人〉に与えたのだ、わたしのような、娘のような、者たちに。』
朝日文庫「ぼくらは都市を愛していた」神林長平著 238〜239ページより抜粋

続いて読んでいる、岩波新書隈研吾著「小さな建築」には
『しかし、二〇世紀以降の建築は、国家によって用意された資源とエネルギーの大幹線(インフラ)への依存を深めていくばかりであった。水は上水インフラから供給されて、下水インフラへと排出されたし、電気は電線から供給された。そのようなインフラへの依存を、通して、建築という存在自体が、国家に代表される上位システムへの依存を強めていった。建築は国家によってコントロールされるものだと、誰も疑わなくなってしまったし、建築の自由はどんどんと失われていくばかりであった。
3・11の東日本大震災は、そのようにして自立性を失っていた建築の脆弱さを、いたましいほどに露呈した。インフラから切断されたとき、都市も建築も巨大なゴミと化した。国家によって与えられたエネルギーに依存していたわれわれの弱さ、おろかさをつきつけられた。数年ごとに首相が代わり、危機管理という発想すらなかったいい加減な国家に、われわれは生命をふくむすべてを委ねていたのである。』(P62)

私は神林長平の小説を読むのも、建築家隈研吾の著述を読むのも、共に初めて。たまたま、書店の平積みで見付けて、即ち出来立てホヤホヤの新刊を手にとって、パラパラめくりちょいと面白そうだから買った、と言う訳である。片方はSF小説で片方は一般向けとは言え建築学者の論考(でいいのかな?よくわからないけれど)で、その二冊からこうして抜粋して並べることがひどく乱暴、もしくは「意味ない」ことかもしれないが、なんだかトレーシングペーパーで重ねて二つが透けて響き合うような感じを受けてしまった。調べてみると、神林長平は1953年の生まれ、隈研吾は1954年の生まれである。
神林長平は気付かないままにライフラインたるインフラが供給されている都市と言う大きなカプセルの中であってこそ、初めてヒトは独りで生きることが出来るようになった、と言う認識のもとに、その都市に「選ばれた」、あるいは都市に独りの意思を反映させることを許された主人公が虚構の、しかしその虚構の徹底がもしかしたら新規の真実の、新しい人々の溢れた都市を「創って」行く、というのは私の勝手な解釈かもしれないが、そう言う話を書いた。一方の隈研吾は、前提として気付きもしなかったインフラの脆弱性を震災により突きつけられたときに、もっと自立した建築のあり方としての「小ささ」に目を向けていく。
その二人の表現こそ違えど、その根底にある思い、危機感には、なにか同世代的なことも含めて、同じ部分が有るかもしれない、などと思ってしまった。
時間軸も混沌としていていわゆるパラレルワールドと言う単語では当てはめきらないのかもしれないが、神林長平のこの小説には、ほとんどのヒトが死滅しても、インフラの供給だけがまだ続いていると言う廃墟の東京も、出てくる。隈研吾が3・11でハードとしてのインフラ破壊を新しい建築のあり方を考える起点として、もしかしたらそれは読者にわかりやすくするための起点かもしれないが、挙げたが、神林長平はそれを小説家らしく逆手に置き換え、ハードとしてのインフラ(電気や水やガス)は守られてる一方で、もうひとつの、いつのまにか必須となっている情報網、単純にネットワーク環境でなく、デジタル機器がぶら下がったインターネットオブシングスのシステム破壊を前提としたらどうなるか、から物語を創ったってことだから、二つの本の「書かれた」動機には共通の思いがあったかもしれない。

小さな建築 (岩波新書)

小さな建築 (岩波新書)