焚き火


女子サッカーのワールドカップが開催中。四年前の大会で日本が優勝してから少しは注目が集まっている感じがしたのは、辻堂にある、本の品揃えが私にとってはなかなかに良い感じな古書店の、いかにも古書店主らしき寡黙そうな親父と、この親父が「先生」と呼ぶ、もう80歳くらいにも見えるご老人が、熱心に「オリンポスの果実」を書いた作家、田中英光について話しているその最中に、ふっと話題が女子サッカーに脱線したからだった。その脱線した中身は、ここに書くとあまりほめられた感じはしないだろう、即ち、選手の中に器量よしがいないので「あれじゃぁ、な」と、諦めたような一言で脱線が終わった。「先生」の方は田中英光のことにとても詳しいようだった。
ここで先生と店主は、本当は女性の顔立ちのことを現す「器量」と言う単語は本当は使わなかった。私がそう翻訳した。本当はもうちょっとストレートな単語をつかっていた。
アスリートを見るときも、同時に器量を見て、結局のところ器量よしに人気が集まるのは男性の先天的な資質にきざすことだから文句を言ってもなおせるものでもない。繕うことは出来ても。結局のところ、仕方のないところだろう。だけど、なでしこの選手が皆が皆、彼等の言うような××ってこともないとは思う。
とにもかくにもこんな古書店の片隅で古書店主と先生と呼ばれる老人が女子サッカーを話題にしているなんて、四年前の快挙があってのことだろう。
それはさておき、帰宅して調べてみたら田中英光と言う作家は湘南高校の出身で、太宰に師事し、太宰の墓前で自殺した人だそうだ。横浜ゴムに勤めていた。
湘南高校のある藤沢にも近いし、横浜ゴムの工場は平塚にあるし、太宰の愛人太田静子が住んでいたのだっけかな、小田原に近い下曽我に、太宰の別荘だった大雄山荘もあった(2009年に消失)から、辻堂の古書店田中英光のことが話されているのも、さもありなんと言う感じもする。先生と呼ばれる方も地元の文学史には特に詳しいのかもしれない。いや、私が無知なだけで、先生はすごく著名な文学者の方なのかもしれない。
もう七年か八年か前に、太田静子が暮らしていた下曽我大雄山荘を見に行ったことがあった。誰も住んでおらず草木が伸び放題のなかではあるが建物はちゃんと残っていた。デジカメで撮った当時の画像データを探せば生垣の向こうに見える屋根くらいは写っているのではなかろうか。大雄山荘が消失したのは2009年だそうだ。正確な年月日は覚えてないが大磯の旧吉田茂邸が不審火にあったり、藤沢の建築家モーガンの旧邸も同じ頃に不審火で燃えている。偶然が重なったのか、何かの悪意が裏に潜んでいたのか、一般市民には何もわからないが。剣呑な感じである。

女子のサッカーをテレビで観ているとカメルーンのような身体が大きく、走力もずば抜け、その他の身体能力も優れているチームが出てきているのは驚きだ。前回のワールドカップからの4年のあいだずっと日本女子チームが手こずってきたのはこう言う個の力で、男子以上に、個による圧倒的独走からのシュートにやられることが多々あった気がする。そう言う難しい相手が増えてきた。今回はなんとか勝てたけれど勢力図の激変を予感させる。
男子も同様だが、組織的なディフェンスと、パスを組み合わせた崩しによるオフェンスと言う日本チームの、技により力をかわすような在り方でどこまで行けるか?が見処だろうか。
その男子は焦りから我を忘れて、性急に過ぎてしまうと言う問題点があるように思える。地に足がつかずに早く早くと猛進して引いた相手の防御網に引っ掛かる。エースがそう言う性格なのではないか?エースほどの力強さやキープ力がなくても、相手が格下なのであれば、ときにはエースを引っ込めて「焦らず玉を散らせる」知能派選手を使うようなこともあっていい気がするな。だって、焦りすぎで目が泳いでるように見えたよ、エース。以上が、シンガポール戦の印象。

話が変わるが、ひとつ前のブログに書いた文章を読み直していて、好々爺と言う単語が思い浮かんだ。なにごとからも、なにかをつなげて連想できれば、なにごとであっても、それを愛しく思える。いや、もう一度。そこやそれからなにかに思い馳せられるから、そこやそれをやり過ごしたり、そこやそれに気が付かないで通り過ぎたりではなく、そこやそれを大事に思える。そこやそれをひとかたまりにとらえるのではなく一つ一つをきちんと分けて接することが出来る。そう言う能力を身に付けてひょいと笑っていられる好々爺。そう言う好々爺になった元は手練れの写真家が今になり撮っている写真に写ったそこやそれを、誰がちゃんと見極められると言うのか?
ん?違うかな?好々爺の解釈。

車窓に見えた動物を囲う柵のある場所。雨の降る暮れ時に焚き火が魅力的に思えた一瞬。