安曇野

安曇野に行くのは25年ぶりくらい。かといってなにか変わった感じなど全くしない。わさび園も碌山美術館も、25年前の様子をたいして覚えていないこともあって、どこがどう変わったのかもわからない。わさび園はいまのように奥の方まで散策コースがあったかな?土産店も増えたのだろうか?碌山美術館も敷地内に建物が増えた?こんなのは多分に、この25年のあいだにそれぞれが観光施設としての「よくある進化」を経てきたに違いないと言う思い込みの結果の想像で、25年前と実は何も変わっていないことなのかもしれない。記憶なんて曖昧だな。土地の持っている気候や風景に関連する「変わりようのないところ」を感じているのか、25年経っていて、変わらずに思え、25年前だって一日か二日だけの通りすぎた旅行者だったのに、それなのに懐かしいとも感じている。
もしかしたら、そこで暮らしていたり、もっと人との交流があったのならば、25年前のかかわりがもっと深ければ、その方がむしろ懐かしさなどは感じずに、なにもかも変わってしまったと感じるのかもしれない。
碌山美術館で、荻原碌山の、なんて言うか、人生のあらすじなんて言い方もないし、ウィキペディア的な簡単ガイドって言うのも失礼な感じだが、こう書いてみると、たかだか一時間程度そこに立ち寄って作品を見ている時間よりもしかしたら解説を読んでる時間が長かったりして、文章はやっぱり怖いな、重要文化財に指定されてることがどれだけ重要なのかはわからないが、素人的には権威からの保証なので疑心なくこれは素晴らしい作品だと言うことを前提に鑑賞してしまうように誘導される。たかだか「重要文化財」と言う五文字にさえ誘導される。ましてや、作品の背景にあった道ならぬ恋との葛藤だとか、その葛藤のなか訪れたのが鎌倉だったとか、ほかにも舞台がこの安曇野のほかに新宿であるように適度(なににとって適度なのか?と言えば、それは碌山をめぐる物語の展開を場所から考察したときの魅力の表出しやすさにとっての適度、のようなこと)な場所の転開。女などの作品が生まれたときを物語の舞台とすると、そこに至るまでの洋行やロダンとの出会いの前史。そのうえ若くしての喀血を伴う謎めいた急死、等々、碌山の人生が、(言い方が難しくて、間違ってとらえられるとまるで揶揄してるように聞こえてしまうかもしれないが、)いま2015年に、そう言う話を通りすがりの数十分で解説ボードで読まされて詰め込まれると、すごくエンターテイメント性のあるキャッチーな歴史小説を読んだように引き込まれる。問題はそのあとのことて、その物語の補足資料のように、ふーんこれね、って言う感じでちらりと作品を見て終わりにしてしまうことも簡単で、実はそんな感じで作品を見終える、見たつもりになっていることが多いのではないか。物語の方を参考情報にして、作品を見極めたり、自分なりの解釈まで持ち込んだり、そこまで正しくちゃんと作品に向き合っているか。
いま、自分でこう書いてみて、そこまで見極めてないなぁ、と思う。作者の人生の物語を抜きにして、作品だけから何かを受け取る力って、自分の感受性のようなことが生き生きしていた頃、と言うのはもちろん若かった頃のことで、いまはだいぶ欠けてしまった感じだ。
なんてことをこうして書いた、その理由はそんな私でも碌山の作品が錆び付いている私の感受性を少しだけかもしれないがぐらりと揺すったからだろう。
美術館を出る前にふと足を留めて、もう一回、あの教会のような瀟洒な美術館に戻り、港に一定間隔を置いて停泊している夜の船のように置かれている作品のあいだをくるくると巡り、いろんな方向から見直してきた。