盆踊り会場の片隅


 10日の続きから。
それで午後になって、読み始めた長島有里枝の「背中の記憶」が面白い。ガーリーフォトの先駆けとしてHIROMIX蜷川実花とともに木村賞を受賞し、華々しくデビューしたカメラマンの長島有里枝の印象は、これは私の偏った捉え方に過ぎないかもしれないが、他の二人が受賞を糧にぐんと活躍の場を広げたのに対して、我が道を行く風で、そのうちにトップの三人組から遅れていき第二集団に取り込まれやがては消えて行くかもしれない、とまでは大げさだが、そんな感じも受けていた。今となっては根が太く張られた感じで流行とは無縁に、最新の女流私写真を発表できる存在感を確立した感じを受ける。自分の家族の来し方行き方をエッセイに綴り残すと言うのも、長島有里枝の在り方として、理にかなう、と言う言い方が突飛だとすると、なんだろう、個をさらすタイプの表現者として極めて妥当な活動、そう言う気がする。いや、こんな感想は読んだ「背中の記憶」がなかなかに凄味があって、冷徹で、一方で愛に満ちて、さらに言うと諦観まで備わっていて、家族の内なる個の甘えは微塵もなく、俯瞰した時間の捉え方があり、で、最初は文体の固さみたいなのに戸惑ったのだが慣れると読書に没頭している、そう言う好感があったあとに、それをもって理にかなうとか書いてるわけなのだが。
その本をバッグに入れて、散歩に出る。とは言ってもとても暑いので、早々と散歩を切り上げてどこかの喫茶店で本の続きが読みたい。茅ヶ崎駅は駅ビルラスカが大規模改修工事中で、改修どころか線路を跨いで駅ビルの敷地面積を一気に拡大するのだから、建て増しって感じ。工期も長くて春に工事が始まり11月だが12月までかかる。その影響の一つが、駅ビルにあったドトール珈琲も当然いまはやっていないことで、その分駅前のスタバが、元々混んでいる店だったのが、ますます混んでいて、なかなか座れないようになっていることだ。今日の散歩では、南口から線路沿いに東へしばらく行ったところに有る加納食堂で遅めの昼食にB定食「ハツと野菜の味噌炒め」を食べてから、スタバははなから候補に入れずに写真を撮りながら歩き出して、一応その先で読書の出来そうな喫茶店もしくはカフェを想定して方向を決める。しかし、あてにしていたカフェオダーラは定休日なのかな、カフェピピピもやってない。暑さに負けてバスに乗り辻堂へ。オモテコーヒーも休み。そこでなんだかちぐはぐな散歩になってしまったが、電車に一駅乗って藤沢へ。この藤沢へ行こうと思い立った理由が、昨日のblogにも書いたシャロン・ヴァン・エッセンのアルバムがタワーレコードにあったらどんなものか見てみよう、って言うことがあるのだった。
藤沢ではカフェ・パンセに行こうか迷ったが、今日はなんだかチェーンのカフェの片隅で読書をしていたい。と言うのも取って付けた理由なのか、タワーレコードのあるOPAのタリーズコーヒーに行くことにして「そうであるなら・・・」などと「ついで」な感じを維持しつつも結局は上階のタワーレコードに行った。いざCDを手にしてもまだ買うか買わないか迷っている。こう言うときに、買う方に結論が出るか、買わない方に結論が出るかは、いったい自分の気持ちの逡巡の先の結論をなにが後押ししているのか。値段との兼ね合いもあるだろう、実物のジャケ写の印象もあるだろう。
結果としてAmazonに推されたこのアルバムを買うことにしたのだった。
それからタリーズコーヒー長島有里枝を読み進むが異様な眠気に襲われてうとうとしては、いかんいかんと目を開けて、字面を読み進むがまたすぐに居眠り。そんな風なのだったがたまたま座れたカウンターの一番はしっこの席は自分だけの席というような居心地の良さもあり、最初の45分の眠気との戦いからやっと抜け出すと、そのあとの45分は読書に熱中することが出来たのだった。
帰宅してから、CDをくるむ透明な包装シートを、いつもの通りにささっとは開けられず、苦労して剥がす。買ったのは日本盤で、ライナーノーツや日本語訳詞が入っている。
最初の?恋人がエッセン嬢の楽曲を評価しなかったために自作を発表することに躊躇していた状況から、著名な?バンドのメンバーに認められてデビューしていった経緯が紹介されているのだがそんなのはさておいて、私が買うに至る最初に引っ掛かったジャケ写のことも書かれていて、このアルバムをまとめる契機の一つをこの写真が果たしたようなことが書いてあるのだった。
音楽は、ジョニと言うよりもリッキー・リーを彷彿とさせる感じだった。もう私の年齢では新に接した音楽が今後の人生に多大なる影響を与えてしまう、転機になった重要な音楽との個人的な出逢い、と言ったことはまず起きないだろう。それでもちゃんと聴き込みたいとは思えるのだった。
 アルバムに封入された清水祐也という方の書いたライナーノーツの冒頭には『どんな写真にも、それぞれの物語がある−−−イギリスにはそんなことわざがあるそうだが、シャロン・ヴァン・エッセンの新作「Are We There」もまた、いくつかの写真と、それにまつわる長い物語だと言えるのかもしれない。』とある。その後に続く解説はいちいち書き写さないけれど、それにしても写真が発明されてからたかだか160年だか170年だかしか経っていないのに、すでに写真に関する「ことわざ」があるって本当なのか。
 写真はそこをコピーする機械である、とひとまずそう定義すると。写真に写すことが出来る世界のどんな場所のどんな瞬間にも、そこに写ったものには、あるいはそこを写した人には、必ず物語がある。このことわざを解説するとすればそんなことが言えるのだろうか。誰も行ったことのない世界の果ての景色に初めてカメラを向けて撮った人の写真は、そこに写った景色には人の物語(痕跡)はなくて、よく言う「手つかずの自然」があるだけだろう。それでもその写真にも物語があるのは、そこを撮るに至ったカメラマンの物語なのか。それとも景色が隠喩になって投影される人々の物語なのか。こういう風に考えると、窓派のように思える風景写真が、鏡派のようにも捉えられるわけで、鏡か窓かという仕掛けは、何事も視点によって捉え方が変更できるという事実をつきつけるための方便だったのではないか、とか思うのだ。

以上が10日のことで11日からは自家用車で安曇野のに一泊二日の短い旅行に出た。家族の某と。途中、数年前に松本に行ったときにMさんに教えてもらった老舗の洋食屋おきな堂に立ち寄った。
泊まった宿(浅間温泉)の近くの広場では夏休みの夜祭り。上の写真です。盆踊りや出店。盆踊りの広場から少し離れた片隅に、子供たちが集まって遊んでいる。屋台でなにかを買ってもらい、それを持って、子供たちだけで集まって、子供たちだけの話に夢中になる。なんだか盆踊りの中心から外れたこういう場所に、私も同じようにして集まったことがあったに違いない。夏休みのなかのこういう数十分が夏休みそのものなのだろう。

Are We There

Are We There