夏の終わり

就業後、会社の同年輩の同僚の車に乗せてもらい、(平日にいる北関東の単身赴任)アパートに一旦帰宅してから、Tシャツとジーンズに着替えて、スマホコンデジと財布だけを持って雨のなかふたたび出て、すぐ近くに住むこの同僚と一緒に夕食を食べに出掛けた。あまり頻繁には履かなかったこともあり、もう15年かそれ以上前に買って、いまも使うナイキのエアモックを履いたら、右足の前のところで靴底が、接着剤がとうとうダメになったのかはずれてしまって、鰐が口を開けるようになりあっという間に雨水が滲みてきて靴下が濡れた。
台風が九州を南から北へと抜けていく。それに伴う気圧の動きをテレビのお天気キャスターが説明するのを見ていると、サッカーの監督がマグネットボードで選手を丸いマグネットにして、こう動いたらこう対応して動いて、このスペースが埋まったら今度はここに次のこの選手が飛び出してと、時間をおって動きの説明をしているのに似ている。サッカーの戦術は相手の戦術とぶつかるから、偶然も重なると思い通りには行かないが、天気予報はかなり確度が高い。スマホで雨雲ズームレーダーなるものを調べて雨宿りをするかしないかを決めることもできる。その天気予報解説の詳細は忘れたが、まぁなんか大型でフィジカルとテクニックを備えた相手のフォワードを抑えるために二人三人とディフェンダーが抑えに回るためにぽっかりと開いたスペースに「北の空気」と呼ばれるボランチが一気に駈け上がってきた、そんな感じかな、だからいきなり10月のような最高気温最低気温の北関東になった。
同僚と一緒に食べたのは、枝豆、シーザーサラダ、モツのデミグラスソース風煮込み、ポークソテー。洋風居酒屋のような新しい店。 ポークソテーの真っ白の平皿に添えられたグリル野菜を舌足らずな店員が説明してくれる。白茄子とか栗カボチャ。
お盆の休みが終ると、自然の方まで人が仕掛けた夏休みの様々なイベントと同じ様に「真夏」と言うイベントを終わりにするみたいだ。今年はアンコールもなく。気圧や前線は風景に例えると急峻な崖のような境界を、風景とは違って時々刻々と変化させながら作っていて、気候を構成する要素(って、訳のわからない書き方だけど要するに気温、湿度、など。他はなに?う~ん色温度?雲の高さ?よくわかってないな)は、その崖を落ちたり上ったりするから、そう言うときには昨日と今日で最高気温が10度も違うことが起きるが、こと日の入り時間や日の出の時間は、もっと正弦波曲線に乗った感じで変わっている筈だ。なのに、お盆が過ぎて、またぞろ日常と括られる時間の過ごし方が、多くは溜め息とともに戻ると、それと一緒になって日の出や日の入りの時間までも、崖を落ちて起きる急峻な変化があったかのように感じる。朝は私がそろそろ目を覚ます4時半だと(お盆の前はあんなに明るかったのに)暗いし、夕方も早い。
今は学校が夏休みだし企業もお盆の週は休みになることが多いが、そもそもお盆にご先祖様をお迎えすると言う行事はもっともっと昔からあるのだから、こう言う感じは、江戸時代ももっと前の時代、奈良時代とかにもその時間に生きていた人は感じていたのかな。夏の終わりの、ゆく夏を惜しむような、哀しい感じを。誰かが四季あれどこれほど誰もがゆく季節を名残惜しいと思うのは夏だけだと言っていた。
アナログ的に変わっているのにそう感じないのは、ほかになにかに夢中になっていて、そっちの変化に気が回らなかった、そっちの変化は見失っていた、ってことだ。それほど夏休みは特別ってことだ。ある個人の今年の夏が特別と言うか、 誰にでも特別ではなく当たり前に特別だから、季節として他とは違う、それが夏だ。
と、どんなに暑くても夏好きの、冬に生まれた私はそう考察するが、こんなのは自分勝手な夏の賛美で、はぁ?なに?と言われてしまいますね。
今になっても賛美両論、下らないと切り捨てられることの多いような片岡義男だが、でもときどき称賛してる記事にも出会う片岡さんだが、私は70年代後半から80年代の片岡義男ブームの頃には夢中になって読んでいて、新作は単行本や文庫本になる前に、雑誌掲載時からフォローしていた。人気とともにパターン化してつまらないのも増えてしまった感もなくはなかったが。
その片岡義男の「彼のオートバイ、彼女の島」のあとがきに著者はこの小説のテーマのようなことは「夏とは単なる季節ではない、それは心の状態なのだ」と書いている。
個々に個々の夏があり、それすべてを包含して、特別な季節としての夏があり、それゆえゆく夏は惜しまれる。惜しむ気持ちのなかでふと冷静になってから気が付くから正弦波のように変化していた日の出や日の入りの時間までも 崖を落ちたかのように変わる。
小さな折り畳みの傘をさすかささないか、どちらともつかない霧雨が降ると言うより流れている。同僚と別れてから近くの全国チェーンの靴屋に行く。秋に相応しいような素材と色合いのメレルのジャングルモックを買う。
交差点を渡ったあとに救急車のサイレンが近づいてきて振り返ると救急車が交差点に南から走ってきて、減速しながら赤の交差点に入り、西から東へ向かう車の何台かはそれでも青を理由に強引に通過して仕方なく救急車の方が一旦止まる。それでもそのあとの車は救急車を通すために青でも止まり、救急車は加速して走り去った。
救急車に乗せられた人はのっぴきならない緊急きょくめんを迎えているのか。
ドップラー効果で少し低くなったサイレン音が遠ざかる。それすら夏の終わりのようだ。