夜が来るころ その2


前日のblogに、車窓写真なんか使い捨てのようにただダラダラ撮り貯めているだけに過ぎない。こうしてblogに使う程度で、あとはもう、二度と見返さないハードディスクの奈落に落ちてしまう、みたいな悲観的なようなことを書いてみた。それで、その反動から、いつになく、21日に撮った車窓写真をちっとは真剣にセレクトし、いろいろ画像処理をしてみた。すなわち、気分的にはただの「撮り棄て」ではなくて、少しだけ大事に扱ってみたって感じだ。
今朝、枕元の本のタワーの中から新書サイズか、もうちょっとだけ大きいのかな?ザラ紙に乱暴とも思える強いコントラストで、それが写真集を見る人に疾走感のようなことを感じさせて、これはこれで好きなのだが、オリジナルとはまったく違う判型やテイストなのであまり評価されていないらしい(単なるAmazonのレビューを読んだ程度の思い込みか?)、再発版の方の(もちろんオリジナル版は高すぎて買えないこともある)森山大道写真集「NAKAJI」を捲ったことから、情けなや、すぐに影響を受けて、データをモノクロにしてコントラストを上げてノイズを入れて、画面をいくつかの領域に分けてからレイヤーにして重ね、部分的にコントラストを調整し、すなわち焼き込みや覆い焼きに相当することをやってみたのが、このように出来上がった写真には森山大道の写真のような凄みは、やっぱり、結局は何度やっても生まれない。上記の写真集「NAKAJI」は、被写体に肉薄しない、街角全体を広く捉えたような写真が、特に写真集の後半には続くのだが、そういう写真にも強烈ななにかがまとわりついている。真似てみようとしても、なにかがまとえない。真似てみてはじめてわかり、暫くしてそれを忘れて、またたかをくくって真似てみて、まったく近付けないことにあらためて驚く。
そこでもう、モノクロのハイコントラストの荒れぶれ風は諦めて、今度はカラーで、よりおセンチな感じを出そうと思う。水色の傘だけ彩度を残し、他は彩度を落としめにして、傘を際立たせたり、そんな風に何枚かの写真をいろいろといじってみる。
一番下の写真は、前日のblogに載せた写真の一枚あとの駒で、空のところを薄墨のような、銀色のような、そんな風に見えるようにトーンカーヴを調節したり、空だけ抜き出して彩度を落としたり。
パソコンモニターで見ていると、チャチャっとそんな細工をインスタントに施しただけでも、まぁなかなかにいいんじゃないのぉ、と、他愛ないプチ満足に浸れるのだった。