知らない町を通過する


 野口五郎の私鉄沿線がヒットしたのは私が中学のときかしら高校のときかしら。家にEPレコード(シングル盤)があった気がするが自分で買ったのかな。家族の誰かが買ったのかな。
 で、調べてみたら1975年1月だそうで高校三年の受験勉強佳境の頃の曲だった。
♪改札口で君のこと いつも待ったものでした 電車の中から降りて来る 君を探すのが好きでした♪
という歌詞をいま調べたが、この歌詞を読んでも最初のメロディがかろうじてわかるだけでその続きのメロディが判らない。
伝言板に君のこと 僕は書いて帰ります♪
伝言板ありましたね。たぶん、どの駅にもあった。黒板に白墨で書くのがあった。そのうちホワイトボードになっていただろうか。待ち合わせた誰かが伝言板にメッセージを残してくれてそれでなにかのコミュニケーションが成り立ったことがあっただろうか。そういう思い出は一つも出てこない。
 21日は仕事で埼玉県内を移動して、夕方は西武秩父駅で仕事仲間と別れた。二十年ぶりくらいの西武秩父駅はずいぶんきれいになっていた。帰路はレッドアローちちぶ号で池袋へ。初めてではないが即ち二十年ぶりの西武池袋線の私鉄沿線。正確には池袋から数駅のあいだは何回も来ているが。意外と踏切が多い路線だった。西武っていまの若い人〜中年の人にはどういう印象なのだろうか。1970年80年頃には同じ私鉄でも東武小田急よりもちょっと洗練された感じだった。セゾングループにパルコもあって、飛ぶ鳥落とす勢い的な感じだったかしら。パルコのポスターと言えばそれが最先端の表現でいつも驚きを与えてくれたような感じだったし。堤一族の某氏は二宮の家からヘリコプターで池袋まで通勤していたとかいないとか、当時、二宮に住んでいた友人からそんな噂も聞いたことがあったが。
 野口五郎の「愛よ甦れ」ってシングルは1978年発売だそうで、この曲はそんなにヒットしなかったと思うが、よく覚えている。当時、すなわち、甦ってほしい恋愛、言い換えると、うまく行かなくなった恋愛を抱えていたのですね、きっと。
♪男は少年時代 見つけた飛行船を 哀しい愛の間に間に 死ぬまで追いかけていく♪
なんていうサビの歌詞ですが、いま読むとよく判らないな、なにが言いたいのか。でも1978年には判った気になっていたような。
 2018年に池袋に向かって秩父からずっと車窓の私鉄沿線を眺めている。もちろん野口五郎が歌っていた私鉄沿線風景は四十年のあいだにまったくもって、概ね全部、変わったのだろうけれど、しかしこうして駅から吐き出されて歩いている大勢の人たちのいる風景を見ていると、結局は大して変わっていないんじゃないかという思いの方が強い。結局、人の抱えている悩みの総量、喜びの総量、計画の総量、後悔の総量、満足の総量は、大して変わっていないんじゃないか。
 そりゃそうだ、動物としての人間の進化や退化が四十年で目に見えて起こるわけでもなし、と達観するのも勝手だが。。。