長い時間

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 国立新美術館にボルタンスキー展を観に行く。長い時間が流れるということは、個の人間に数十年という寿命がある以上、それを延べて見渡そうとすると、死の(生の)連鎖が時間の流れとも言える。といったことを考えてしまうのだった。ボルタンスキーご本人の、ちょっとピカソ晩年期にも似ている?スキンヘッドの睨みを効かせた顔を写真で見ているうちに、京都の六道珍皇寺にある小野篁の木造像を思い出した。小野篁はスキンヘッドではないし大男でもないけれど。死後に人の向かった地獄を見聞きしていた小野篁のようにボルタンスキーには、そういう世界が直感的に見えているのではないか。

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