自家用車を運転して清里にある清里フォトアートミュージアムに行ってきた。8時前に出発してほとんど渋滞もなく、途中SAで一か所休憩しつつ、10時20分頃に到着。昼前に見終わり、グーグルマップで現在地から「近くの蕎麦屋」と入れて出てきた、直線距離2.5kmにある「さかさい」という森の中の蕎麦屋に立ち寄り ~そこがいちばん近そうだったのだが、直線に近い道路などなかったようで10kmとは言いませんが、5km以上走らされ(って、これはもうナビへの責任転嫁みたいな書き方だな・・・)やっと到着したわけですが~ 蕎麦屋を出たのがたぶん12:30頃で14:30頃には茅ヶ崎の自宅に戻っていたから、渋滞がないと2時間なんだな。休日に中央が渋滞なく走れるなんてめったにないけれど。雨模様の日で空いていたのか。
さて、清里まで行ってきたのはロバート・フランク展「もう一度、写真の話をしないか」を観に行ったのです。入り口にあるこの大伸ばしされたポスターだけ撮ってもよいとのことでした。この写真、今月はカメラ雑誌の記事やらでこの写真展の告知を読むたびに見てきた。1950年代のニューヨークのプレミア試写会?らしい。・・・?書いたあとに「らしい」ってなに?・・・それだけ自信ないな・・・
大きく伸ばされると、写真は細部も大きくなるから、すると見えるところが違う。細かいところが気付かされる。上のあたりを目の前にして、あ!このあたりの人は映画のスクリーンではなく撮っているロバート・フランクを見ているんだな、ということを「発見」した。おばちゃんはちょっと「あんたなにもの?」って怪しんでいる感じ、お兄ちゃんは冷静に分析して観察している感じ「誰だろー?」、女の子は「あっ!」と驚いた感じ。そういう細部に写っているものに直面できるから大きなプリントは、こういういろんなものが写り込んでいるスナップ写真を見るときには、大きいというだけでもとても力を持てますね。
ロバート・フランクが写真集「アメリカ人」より前に3部だけ作ったという「ブラック&ホワイト シングス」という写真集の冒頭には星の王子さまからの引用が掲載されていたそうです。解説によると
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
という文章だそうだ。
今年の京都国際写真祭KYOTOGRAPHIEで、かの有名なキューバのゲバラの写真を撮った写真家(名前が出てこない・・・)のインタビュー動画を見たが、その写真家も同じことを言ってましたね。写真がテクニックで決まるなら、みな半日で写真家になれる。本当に大事なものは目では見えない。心で見えたものを写真に出来ることが重要だ、みたいなことを。
ロバート・フランクは「アメリカ人」の写真を撮った旅のときには、(人々に対して)情を感じていた。その同情を撮ろうと思った(・・・ってころも写真展会場に掲げてあった解説にそんなようなことが書いてあったもののうろ覚え・・・)って言っているのですね。