新緑


下の写真は相模湾が見下ろせる公園で自家用車でも上がることができる湘南平から見た、高麗山へ続く新緑に覆われた丘陵地帯と、向こうに相模湾を見渡した写真だが、写真の左の方に同じ新緑の「緑」でも、もしかしたら頭の中で「新緑=明るい緑」という認識が出来ているから全部が「緑」と思うだけで、そこだけ取り出すと、むしろ「黄色」を纏った新緑の木が、ポツポツと二本ほど写っている。自家用車を運転して、ここまで上がってくる途中に見えた別の山では、頂上だけが「富士山に被った雪の白の部分がこの黄色」と書けばわかりやすいだろうか(もちろん富士山のようなコニーデ形でもないし、高い山でもないが、すなわちこの湘南平は標高わずかに181mだから富士山のおよそ二十分の一しかないわけだが)頂上だけがこの黄色になっていて、可笑しみのある風景だった。こういうのはきっと「可愛い風景」なのだろうと思った。見えたけれど車を停車して撮ることまではしなかったが。
 湘南平テレビ塔が出来たのは何年なのかな?ウィキペディアには「平塚テレビ中継局」として湘南平テレビ塔のページがあるが、建設年は書かれていなかった。1970年代前半かなあ?私が小学校五年か六年のときの遠足で(春の遠足はこういう近隣へのハイキング、秋の遠足はバスで都内や横浜って感じだった気がする。私の小学校は平塚市の北口駅前商店街を含むエリアの小学校)湘南平に上ったときに、当時は一クラスでカメラを持ってくる子はせいぜい二人くらいで、そのうちの一人はまぁ私だったわけだが、ひそかに好きだった女の子を含む女の子たち数人を記念写真と称して、気持ち的には好きな子の写真を撮りたいってことですね、首尾よく撮ったことを覚えている。というのも、写真を覚えているんだろうな。過去のある出来事を覚えているときって、そのときに撮られた写真を「見る」ではなくて、いま手元にはその写真はなくても、まず「こういう画像の写真があった」という写真を覚えていて、それが入り口になってそこから記憶へつながっていることがある。・・・ありますよね?
 その遠足のときにはまだこのテレビ塔はなかったと思う。そして湘南平の駐車場の近くにいまは入り口が塞がれた戦時中の防空壕(一説には高射砲が供えられていた洞窟とも言われていた)があって、その遠足のときにはその防空壕に入ることが出来た。防空壕と言っても、下に降りていく穴、ではなくてがけに開いている横穴で、その横穴は十メートルかもう少しあったのかな、離れて二つ開いていて、奥でつながっているのだった。入り口を入って数メートル行くと直角に折れ曲がって隣の穴へと向かう。この間が真っ暗になる。小学校五年もしくは六年生の男の子グループは、好きな女の子のいるグループと一緒に、この穴から入ってもう一個の穴から出てくるという肝試しを首尾よく出来ると天にも昇る気持ちになるのだった。別段なにかわるさをするというわけではもちろんないのだが。いまはこの穴は入り口が塞がれている。
 テレビ塔が出来る前からあっただろう古い展望台もある。言い忘れたがテレビ塔は、塔の途中まで階段で登れて、下の写真はそこから撮っている。古い展望台は、テレビ塔と、もう一つのカフェのある展望可能な建物もあるから、それらの「影に隠れるようで」まったく目立たないし、それらと比べると小さいし低い。その展望台に上の写真の、これはなんというものですか?案内板かな?でも「板」じゃないな、とにかくこれがある。こういうのも時代を感じますね。レトロと言うのか。写真には写っていないが東京の方向には東京タワーの形がレリーフになっているし、横浜は船です。
 これによると富士山と丹沢のあいだには南アルプスが見えることになっている。本当に南アルプスが見えるのかな。意識して見たことがないから気が付かないだけだろうか。
 朝早くの湘南平にはおおむねお年寄りばかり。おじいさん7対おばあさん3くらい。そのうちサイクリングやジョギングで坂を上がってきた人、比較的には若い人もやってくる。
 私はずっと野鳥の声に耳をそばだてていました。きれいな声があちらこちらら聞こえる。姿がなかなか見つけられない鳥たち。